2020年。アートは、ジャンプだ!
あけましておめでとうございます。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
このブログは、教育にアートが足りていないという思いから2016年にスタートし、4年間で113の記事を書いてきました。本やアートに関する面白い人や活動を紹介する中でたくさんの発見がありました。
で、色々な役割があるアートって、一言であらわすと何か?
私は「ジャンプ」だと思っています。
サイエンスとアートは、協働する。
この言葉は、昨年11月に行われたEdvation x Summit 2019 でのパネルディスカッションにおいて、LOVOTの開発者である林要さんの発言にあり、これだっ!とものすごく腑に落ちました。林さんによると、サイエンスは答え”をしっかりと積み重ねている領域なので、一つひとつ証明されているものしか使えない。だから、スピードは遅いが、そこに“アート”が入ると、「ジャンプ」が起きて、証明がなされていないが真実かもしれないものをかなり早い段階で取り込めるそうなんです。
キュレーターの長谷川祐子さんの著書「『なぜ?』から始める現代アート」にも、同様の表現があります。第三章「アートが科学を超えるとき」では、人間の知覚について、まだ科学で証明をされていない部分(例えば光の色の違いを皮膚から感じとれるか)を、アート作品として問いかけ、鑑賞者に感じてもらうアーティストが紹介されています。解が一つでなければならない科学に対し、アートは鑑賞者がそれぞれの解を持つことができる、という違いがあるからこそ、アートでしか表現できないことがある、というのは、非常に興味深いですし、これも、ジャンプというべきものでしょう。
このお2人の発言からは、サイエンスでカバーできない領域をアートが補うことの価値を感じます。サイエンスとアートは、相対するものではなく、協働するものなんじゃないかな。
自然科学にとどまらず人文科学、社会科学、それにまつわる事実や数値に裏付けられたものたち(サイエンス)をつなげ、その先に新たな到達点をつくり、そこに向けて、自ら線を描く行為をアートというのではないでしょうか。それは論理の飛躍とか、勘(かん)と揶揄されることもあるかもしれないけど、そこにサイエンスを組み合わせていくことで、進む研究やイノベーションもあるはずです。
「どこでもドア」というアートを、サイエンスで実現する。
例えばドラえもんに出てくる「どこでもドア」。描かれた当初、科学的根拠は薄かったと思います。でも、扉をあけたら世界中のどこにでも行けるという機能は、大人も子どもも、多くの人を魅了し、漫画というアートの中で、夢を膨らませることができました。そして今、インターネットの発達により、Web上でのオンラインミーティングや、遠隔操作ロボットが登場し、どこでもドアにかなり近い形が実現しています。それは、もしかすると「どこでもドア」というアート作品が起点となってるのかもしれませんよ。
歴史小説や、実際に起こった出来事をベースとした小説にも、アートの力を感じます。新聞記事や研究書であれば、わかっていること以外は記せないのですが、小説は、事実をつなぎ、記録が無い部分を創作で補うことで、ストーリーを成立させていきます。印象派の画家たちを多く描いている作家の原田マハさんは、画家たちの足跡をたどりながらストーリーを膨らませ、19世紀を生きた画家たちを、とても身近なものに感じさせてくれます。
論拠は薄い。その世界に飛び出し、何か形にして見せるというのは、勇気がいることです。でも勇気をもってジャンプできたら、ますます世の中面白くなると私は思っています。
この勇気がどうやったら出てくるのかについては、次回、書いてみようと思います。
参照:
林要さんのパネルディスカッション
「なぜ?」から始める現代アート(NHK出版新書)
清水葉子
#STEAM #アート教育