知覚を再定義するアート!

前々回のブログで、サイエンスからジャンプする時のアートの役割について触れました。今回はその中でも、視点の発見、知覚の再定義という部分にフォーカスして書いてみたいと思います。

 

「日本人の目」を手に入れたゴッホ

2017年8月~2018年3月、北海道、東京、京都で行われていた「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」という展覧会、御ご覧になりましたか?私は最後の開催地である京都で、ぎりぎり、見ることができました(見られて本当にラッキーだったと思います)。

 

この展覧会のみどころは、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853 - 1890)が日本の浮世絵の色、描き方や構図に感銘を受け、自身の作風に取り入れていった様子が、浮世絵と対比しながら鑑賞できたところでした。浮世絵の、地平線の位置が高いとか、木が画面を分断するように中心に描かれているとか、輪郭がしっかり描かれている、雨が線として描かれている、などという技法は、ゴッホを含め、当時のヨーロッパの印象派の画家たちに衝撃を与えました。

ゴッホが晩年にアルルで描いた「The Shower」高い地平線の位置や木を真ん中に持ってくる構図が、浮世絵の影響を強く受けていると言われています。

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The Sower Vincent van Gogh (1853 - 1890), Arles, November 1888 Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

 

 

印象派と呼ばれる画家たちが追求していたのは、ものの新しい見方、表現の仕方でした(印象派以降、といったほうがいいかな)。彼らが活躍した19世紀後半は、すでに写真機(カメラ)が普及しはじめていましたから、画家たちは、写真を超える表現を追い求めました。写真には写りきらないその場の空気や風の流れ、光の繊細なきらめきなどがどうしたら表現できるか、研究と実践を重ねたと言われています。ゴッホが弟のテオにあてた手紙に「私は日本人の目を手に入れた」と書いているように、日本の浮世絵が彼らに提供したのはさらなる「新しいものの見え方」だったのです。

 

印象派って、描かれた当時は新しい、時に新しすぎる表現で、その絵が評価されるまで時間がかかった画家も多かったといいます。ゴッホのように、生きている間はほとんど絵が売れなくても描き続けるエネルギーの源泉は、新しい視点を得て、それを形にする喜びにあったのかもしれません。

 

アートは、終わりのない探究の旅

2018年4月~6月にすみだ北斎美術館で行われた「変幻自在!北斎のウォーターワールド」では、北斎が、波や滝の描き方を何年にもわたって追求した様子を知ることができました。ゴッホが憧れた浮世絵画家たちもまた、ものの見え方を探究していたのでしょう。

 

そして!ゴッホの描いた絵を見た私達は、ゴッホの目を手に入れることができているのではないでしょうか。

 

世界の見方、感じ方の再定義は、アートが果たす重要な役割の一つです。それは見るものにとって、同じ場所にいながらも新しい世界を体験させてくれるものですし、描くものにとっては、終わりのない探究の旅です(アートって、正解が無いとよく言われますが、それは、答えが一つではないという意味で、答えを求めないわけではない。むしろ、探究者にとって納得できる答えを探しつづける、終わりのない旅なんだと思います)。時に超個人的で、時に爆発的に影響を与えるアートって、怖くもありますが、とても魅力的なものでもありますね。

 

#STEAM #アート教育