第3の居場所としてのアート:アートセラピーと「自由創作アトリエ はらっぱ」

みなさまこんにちは。清水葉子です。先日、大阪府茨木市にある「自由創作アトリエ はらっぱ」にうかがいました。こちらを主催されている桑原則子さんは、子ども達の指導に加え、大人向けの絵手紙教室の開催や、アートセラピーの実施もされています。今回は、「アトリエはらっぱ」の見学とともに、アートセラピーについて、桑原さんがアートから受けた影響ついて、お話をおうかがいしました。

 

「自由創作アトリエ はらっぱ(以下アトリエはらっぱ)」は、3歳~中学生までが通っている絵画、造形教室です。教室は月2回で、かく日、つくる日が1回ずつ。それぞれに、テーマがある日と、自由制作の日があります。

 

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見学させていただいたのは、テーマ制作の日。母の日が近かったので、お母さんのプレゼントにもできる、UVレジンを使ったアクセサリーづくりをしていました。

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テーブルの上にはビーズやシールなど、たくさんの材料が。それを台座の上に、自由に組み合わせていきます。

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もくもくと取り組む子、「ここどうしよ」「先生こういうのない?」などと話しながら取り組む子と様々ですが、桑原さんは特にこうしなさいとは言わず、子ども達を見守ります。

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出来上がった作品にはUVレジンを流し込み、UVをあてる機械に入れて少し待つと完成です。

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お母さん、喜んでくれそうですね!

 

 

制作が終わると、自由な時間。絵を描いたり、制作をしたり。内容も、描く場所も、フリースタイル。子ども達はそれぞれ好きなスタイルで、楽しんでいました。

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アトリエには色々な画材が。本もたくさんあります。

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自由制作の日は、色々な画材や材料を使い、自由に表現できるそうです。

<自由制作の様子>

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桑原さんの子ども達への声かけは、とてもフラット。作品や制作についてのアドバイスを桑原さんからすることはほとんど無く、質問があったら答える、というスタンスです。逆に「ゴールデンウィークどこにいったん?」「あの映画見た?」といった日常に関する問いかけが多く、話したい子は色々なことをおしゃべりしながら作業を進めています。

 

見学にうかがう前、先生に技術を教えてもらうというスタイルをイメージしていた私は、不思議な印象を持ちました。でも、子ども達はとてもリラックスした様子で、自分達でどんどん手を動かしていきます。なぜか?その秘密は、「アトリエはらっぱ」のコンセプトにありました。

 

 

「アトリエはらっぱ」には、アートセラピーの要素が多く取り入れられています。まず、アトリエでは、自分が思うペースで、好きなことをする時間を持つことができます。黙々と取り組んでもよいし、おしゃべりしても良い。という場は、ありそうでないのではないでしょうか。そして、そのような場で、生徒達は次第に自分の思うように動けるようになっていくそうです。また、上手な作品をつくることが目的ではなく、ありのままを表現することが、こちらでは大切にされています。だから桑原さんは「ここをこうしたら?」とは言わず「ここはどうするの?」と聞くそうです。

 

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それは、「はらっぱのおやくそく」にも表れています。邪魔されない、評価されない場で、最初は何をすればよいかわからない子どもも、だんだん自分の表現ができるようになるそうです。「アトリエはらっぱ」に通っている子ども達は、もちろん最初は絵が好き、工作が好き、というきっかけなのでしょうが、学校でも家でもない、第3の居場所として、この場所を必要としているのではないかな、と感じました。

 

「絵を描く人は長生きする人が多い」が桑原さんの持論です。なぜなら絵を描く人は、自分の内面をぶつける先があるから。絵は上手い下手は関係なく、描くことで発散できるものだそうです。実はこれを使ったのがアートセラピー(絵画療法、色彩心理)と呼ばれるもので、言葉にできない気持ちを、絵を描くことで表現し、それによって自分の気持ちを整理したり、その絵を介して相手との対話を可能にするそうです。桑原さんはアートセラピストとしても活動されていて、今年は、子育てに悩んでいる方の訪問アートセラピー事業も始められるそうです。

 

何かについて悩んでいる人は「絵を描いている場合じゃない」と考えてしまいがちですが、そのような時こそ、絵を描くことで気持ちの整理ができたり、リラックスできることもあるとか。

 

確かに、大人になると、下手だと思われるのが嫌という気持ちが出たり、苦手意識が出てしまい、だんだん描かなくなってしまいます。でも、絵のうまい下手は関係なく、描くことで発散できるものだとしたら。そしてそれが長生きにつながるものだとしたら!描かない手は無いのではないでしょうか。アートが人に与える影響の大きさについて、あらためて考えさせられました。

 

そして、桑原さんご自身の人生にも、アートは大きな影響を与えています。

くわしくは、桑原さんのブログをご覧いただきたいのですが(最後にリンクを貼っています)、子育てをしながらもアートを生活の一部としてお持ちだった桑原さんが、あるきっかけで絵画療法という言葉に出会い、これだ!と思い、2年をかけて学び、ご自身のライフワークにされた、というお話からは、アートによって自由になったり、生きる目的を見つけられるということを、桑原さんご自身が体現されているんだなあ、と感じることができました。

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桑原さん、お忙しい中アトリエを見学させていただき、また、インタビューをさせていただき、本当にありがとうございました。アートがある人生は、やっぱり良い!

 

ameblo.jp

IoTスタートアップの面白さと可能性ー小笠原治さんの講演より

先日、ITis KANSAIさんの46回目の講演会に参加させていただきました。

ITis KANSAIさんは、関西のIT業界を盛り上げるためにつくられた組織で、来月で5周年を迎えます。今回の講師は、小笠原 治さん。さくらインターネット株式会社の共同創業者で、DMM.makeABBALabなど、様々な形でスタートアップ支援をされている方です。

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福岡市の創業特区指定、スタートアップの支援にも関わり、現在も、福岡、東京のスタートアップ複数社に投資をされています。

小笠原さんが投資をされる先は、PC、インターネットの中だけで完結するもの、アプリやゲームの開発オンリーではなく、IoTのスタートアップが多いそうです。そしてその中でも広義のIoT、モノとコトをつなぐことで、生活が変わっていくものに、投資をされるそうです。

 

IoTとは、PCスマートフォン以外のモノをネットワークにつなぎ、データの取得や命令をして、これまでに無かった動き、サービスを生み出すことです。その流れにはなんらかの物体が介在することになります。

 

DMM.makeにはモノづくりの環境が整っているため、まさにIoTのスタートアップに適している、と言えるでしょう。年間8000人が利用し、VRや犬の心拍数で犬の健康状態を知るサービス、物理的鍵を無くすスマートキーなど、2年半で70社のスタートアップが生まれたそうです。DMM.makeの目的はスタートアップを立ち上げる際に障壁となる「お金」「仲間」「設備」を提供し、支援するとともに、出来ない言い訳を取り払い、背中を押す役割も果たされているそうです。

 

akiba.dmm-make.com

 

何か製品やサービスを生み出し、量産体制に入る時、資金調達をするスタートアップが多いのですが、5億円以上の資金調達ができるのは、女性が多いそうです。小笠原さんは、目的型といってやりたいことがはっきりしているタイプの人が多いからではないか、と分析されていました。

 

また、イノベーションを起こす際には、ノリや空気感も重要だそうです。つまり調子に乗って世界を目指すとか、言っちゃったほうが良いそうです。東京と地方を比較すると、その空気感に違いがあり、東京はうかれているので、例えば世界を目指すと言いやすい雰囲気があるそうです。福岡市にもその雰囲気はあるそうです。もちろんシリコンバレーにも。私もイノベーションIoT関連のセミナーに参加させていただくと、そういう場は実際に起業された方々、また、起業をしよう、という方々のチャレンジングな雰囲気が満ちていて、根拠も具体策もなくても、「何かにチャレンジしてみたい」「やってみれば何かできるんじゃないか」という気持ちに自然となってしまうことがあります。こういう空気は積極的に読みにいったほうがいいのかもしれませんね。

ただ一方、東京やシリコンバレーにはロールモデルがありすぎるそうです。本当に新しいことを始めるには、ロールモデルがいないほうがやりやすいこともあるそうで。そのバランスは、なかなか難しいですね。

 

生活を変えていくIoTとはどのようなものなのか。ある運輸会社の例を教えていただきました。

 

ある運輸会社から、事故が起きてからの検知ではなく、事故を起こしやすい状況の検知をして、ドライバーの安全性を高めたいという依頼があったそうです。そこで考えられたのは、センサーを使った心拍数の感知とその分析。眠気や興奮は、心拍数の測定である程度読み取れるそうです。センサーをトラックに取り付け、ドライバーの心拍数を測定。そのデータを収集し、傾向を分析することで、それぞれのドライバーが眠くなりやすい状況を把握し、休憩などを計画できるそうです。デバイスによる情報収集が、仕事環境の改善につなげられているんですね。

 

ABBALabの定義するIoTについても教えていただきました。

 

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Internet(インターネット)、Device(装置、機器)、Things(モノ、事)に分け、

それをInputLogicOutputという視点で解説をしていただきました。

特にThingsの部分で、どんなデータを取り(Input)、どんなフィードバックをするのか(Output)という行為の間には、それをすることによる価値や対価が(Logic)があり、その部分をきちんと考えるのがIoTをやっていくうえで大切なことだそうです。

先の宅配ドライバーの件で言えば、「ドライバーの心拍数を分析することで、事故が未然防げる」の部分がLogicになりますね。

 

小笠原さんのご著書「メイカーズ進化論」でもおっしゃっているように、IoTはモノのインターネット化だけではなく、「モノとコトのインターネット」で、まさに「モノ」が「モノゴト化していく、サービス化していく」のだなあ。と実感しました。

 

また、さくらインターネットで昨年より提供されている、sakura.io

通信モジュールをデバイス(もの)に組み込むことにより、デバイスを比較的簡単にネットワークにつなぐことができ、その目的であるデータ取得などがしやすくなります。

 

sakura.io

 

IoTの開発者が、デバイスをインターネットにつなぐ技術に労力を取られず、Logic、価値や対価の部分に時間を使えるように、ということですが、これはDMM.makeのセッティングと同じく、スタートアップの背中を押すものになっていますね。

 

小笠原さんは、「誰かが思いつきそうなところにリンゴを落とすのが僕の仕事」とおっしゃっていましたが、小笠原さんこそ、イノベーションが起こる場という、大きな環境を発明されているんだと思います。

 

講演後、中高生へのメッセージとして「起業して失敗することにリスクはありますか」と質問させていただきました。「企業で言われた通りに動くほうがリスクがあると私は感じます。それに失敗ってそんなにこわいものではないと思いますよ。高校生にもスタートアップのチャレンジはできるし、学校の中でたくさんの失敗が積めると良いですね」というお話しをいただき、なるほどなあ、と思いました。

 

IoTの開発に関していえば、今はまだやりつくされていない状況で、新しいサービスが生まれる可能性があるとても面白い時代なのだと思います。

中高生のうちから調子に乗ってやってみるというのは、最終的にどんな進路を選ぶにしろ、楽しいチャレンジではないでしょうか!

 

自身と向き合う美術の授業―関西大倉中学校・高等学校 その4 渋谷信之先生インタビュー

先日より、関西大倉中学校・高等学校の美術室の環境、授業についてお伝えしてまいりました。最後に、美術のカリキュラム統括もされている、渋谷信之先生にお話をうかがいました。

 

「自分には美術は関係ない、どうせ下手だから」という生徒の思い込みを壊し、誰もが美術を楽しめるように。

 

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中高の美術の授業の流れについて教えてください。

中学は3年間、週1時間の授業があります。全員が授業を受けます。

高校では美術は芸術選択の1つになり、約3分の1の生徒が授業を受けます。

高校1年生は週2時間、高校2年生は週1時間です。(1時間は55分)

 

中学ではどのような授業を行われていますか。

中学では木工芸から始めます。道具の使い方をレクチャーした後、10時間をかけて吊り鏡、脚付き鏡、鍋敷きなど、家に持って帰れるものをつくります。刃物の扱いに慣れていない生徒もいます。集中しないと怪我をするので、厳しく指導します。その他道具の使い方や授業への参加の仕方を含め、中学は、基礎をしっかり学び、美術への姿勢を身に着ける時間です。

その他、スケッチ、水彩画、粘土、陶芸などを行います。この思春期の多感な時期にこそ、美術を通して経験できることがあると感じています。

 

高校ではどのような授業を行われていますか。

高校では、美術は選択授業になり、約3分の1の生徒が専攻します。中学生より年齢も上がりますし、授業では少し高いレベルを求めます。大きく言うと、中学では手順を丁寧に教え、高校では少し突き放す感じです。高校2年生の秋に行う「選択制最終制作」は、絵画、立体、デザイン、陶芸の中から1つを選択し、15時間をかけて自分を表現します。高2の修了時までに、自分自身を伸びやかに表現できるようになる、というのが、本校の美術のゴールです。

 

もちろん最初からそのようにはいかないので、1年生は線の引き方から指導します。

生徒たちの中には、自分に自信を持てない者もいます。高校受験を経験し、失敗することが怖くなったり、先生に求められていることを読み取り、それに応えようとする様子が見えることもあります。自信が持てないと、自分の立ち位置が見えづらく、萎縮した状態になってしまいます。美術の授業を通して、自分を前向きに表現し、内発的意欲を高めてほしいと思っています。自分が今やっていることを楽しく感じられると、生徒はいきいきとしてきます。生徒によってそのきっかけは違うため、試行錯誤をしながら生徒とかかわっています。

 
高校1年生の1学期に行われている、フィンガーペインティングとは、どのような授業ですか。

まず、6-7名のグループをつくり、赤・青・黄・緑・ピンク・白・黒から各自一色、担当の色を決めます。まず、指に自分の色をつけて、それぞれの紙に自分を表現していきます。言葉を持たない原始人という設定で、記号や形は一切使いません。

3分経ったらドラを鳴らし、隣の人の紙を貰って二人の会話をしてください、と言います。隣の人が描いた絵に、自分の色を重ねていくのです。これを6人分続けていきます。自分の作品が手元に戻ってきて、そこに自分で仕上げをしてタイトルをつけて終了となります。完成したものは1枚1枚全然違いますし、この作業が進むにつれ、生徒の表情がやわらいでいきます。自分の残したことが、相手に受け取ってもらえて、影響を与えていることを、気づき始めるんだと思います。一度自分の学んできたことを壊すこと、仲間に自分を表現することを学べる場になっているのではと思っています。まだ友達の少ない新入生の、この時期にこそ効果的な授業と言えるでしょう。

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現在のカリキュラムになったのは、いつからですか。

7-8年前からです。それまでは高1、高2ともに週2時間授業で、比較的ゆったりと進めていたのですが、高校2年生が1時間となり、それを機に、内容を精査して、カリキュラムを組みなおしました。優雅に家に飾るための絵を描くというよりは、自分と向き合い、自分を表現できるようになることを重視しています。

 

美術室の環境について工夫されている点を教えてください。

こちらの芸術棟は、昭和47年に建てられました。最新の設備が整っているわけではありませんが、年数を重ねて来たからこそ、出せる味わいもあると思います。例えば、芸術棟は緑に囲まれていて、生徒たちは他の教室からアクセスする際、いったん自分をリセットし、切り替えて授業に臨むことができます。また、美術室には道具、本、卒業生の作品など、色々なものが置かれています。生徒たちがその雑多な要素、材料を見て、色々なものを取り込める自由度があったほうが良いと考えています。

 

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先生にとって美術教育とは何ですか?

美術の教員になった頃、私の指導目的は、美術大学に進学するエリートを育てることだったように思います。ですから、技術力、表現力の高い生徒の能力をさらに引き出すことに、指導の比重を置いていました。一方で、うまく形にできない生徒たちのことも気になっていました。そちらにも目を向けてみると、「描きたいけど、どうすれば良いのかわからない。」という気持ちは、技術力の高さに関係なく、根本は同じなのではないかと感じました。時代の変化もあります。情報があふれ、インプットが過多になりがちな時代に、自己をのびやかに表現できることは、自身の立ち位置をしっかりとつくることに役立つのではないかと感じるようになりました。ですから、「全ての生徒にとって生きるために必要なもの」として、美術の授業を再定義し、美術大学に進学するエリートを育てるだけではなく、誰もが美術を楽しめるようにしました。自分には美術は関係ない、どうせ下手だから、という生徒の思い込みを壊すことを目標としています。

 

指導方針の転換で、生徒さん達に変化はありましたか?

エリートだけでなく、誰もが楽しめる美術としたことにより、美術部への入部が増えたのには驚きました。また、他の教科で先生に色々言われてしまう生徒も、美術の授業では、のびやかに表現をする、という光景も見かけるようになりました。どの授業でも、生徒たちには価値観を揺らすような問いかけをすることを心がけています。正解を求める習慣がついてしまっている生徒に、私は正解を持っていないということをちらつかせるといいますか。美術は自分との闘いで、禅問答のような部分もあります。自分で何を描くべきかを決めるために、自分と向き合っていかなければなりませんから。

 

高校の美術の授業では、1対1で生徒と対話する時間も大切にしています。技術指導に偏りすぎず、考え方について質問したり、良いところをほめたり、言葉の引き出しを増やすことを心がけています。そのようなことを続けながら、生徒の思いや悩みをどのように引き出すかを常に考えています。

 

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各クラスの出席簿の表紙には、生徒さん達が年度のはじめに自分のカラーとして選んだ色が貼られていました。生徒一人ひとりへの思いが、ここからも伝わってきます。

 

関西大倉中学校・高等学校の記事は以上となります。素敵な作品や授業を見せてくださった渋谷先生、授業をご紹介、取材にご協力いただきました関西大倉の先生方、生徒さん達、本当にありがとうございました。

 

<過去の記事>

 

arts.hatenablog.jp

 

arts.hatenablog.jp

 

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自身と向き合う美術の授業―関西大倉中学校・高等学校 その3

先日、関西大倉中学校・高等学校にうかがい、美術の授業を見学させていただきました。続いて授業について紹介します。

 

「価値観を揺さぶる渋谷先生の授業」

人はあふれる情報を整理するために、無意識に定義づけ、カテゴリー分けをするのだと思います。もちろんそれは生きていく上で大切で、必要なことなのですが、定義づけにより見過ごしてしまったり、知らずしらずのうちに自分がそれにとらわれてしまうこともあるのだと思います。渋谷先生の授業では、それをどんどん揺さぶっていきます。

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こちらも、前回ご紹介した線の授業の1シーン。自分の名前を5回書くのですが、そのスピードをどんどん速くしていく、というもの。条件は「時間内に書くこと」「大きく書くこと」だけ。それぞれの制限時間は、上から15秒、12秒、8秒、4秒、一番下はほぼゼロ秒です。最初は全員が書けるのですが、4秒くらいから時間内に書けなくなる生徒が出てきます。それを先生は「字だから読めるように書かなければ」という考えに縛られ、心のブレーキがかかっているからだ、と指摘します。「条件は時間と大きさだけだと伝えても、『きれいに書かなければ』とか『読ませなければ』という余計な荷物を
背負ってしまう。荷物を棄てよ」と渋谷先生。そこで、生徒達は無意識に字を書くという行為に自分で前提条件をつくってしまっていたことに気が付くのです。

 

これも、前回のブログでご紹介した記号の線と美術の線の違いを体感するためのワーク。心のブレーキを外して書ききると、秒数が短くなってだんだん読めなくなった線の中に、記号が剥奪された、勢いを表現する美術の線、つまり記号とは真逆の線を発見できるのです。

 

 

6月に入ると、静物描画の間に「フィンガーペインティング」という授業が行われます。それまでに学んだ技法をいったん捨てて、自分を周囲の人に表現することをやってみます。(詳細は渋谷先生へのインタビュー参照)

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高校1年生の後半から、2年生の前半には、抽象画を描くのですが、ここでも渋谷先生は絶対に正解を言わず、その代り様々な資料を紹介しながら生徒達の価値観、アイディアの幅を広げていきます。

<写真はピカソの動画鑑賞。ピカソがどのように自己と向き合い、スタイルを確立したかについて紹介されています>

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それは自身ととことん向き合う時間。高校という、何かと慌ただしい時期に、自身とじっくり向き合い、自分は何が表現したいのか悩む時間というのは、とても贅沢な時間だなぁとうらやましく感じました。

 

渋谷先生によると、昔の高校生と比べて、今の高校生は自分と向き合う時間が減っているそうです。勉強や部活ももちろんですが、テレビやゲーム、SNSなども、その時間を奪っているようです。コミュニケーションの力を高めるには、自己をしっかり持ち、立ち位置をしっかりとつくって、相手に考えや思いを伝えることが必要です。渋谷先生の授業では、その両方に大切なことを学べる授業なのではないでしょうか。

 

(渋谷先生のインタビューに続きます)

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<過去の記事>

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自身と向き合う美術の授業―関西大倉中学校・高等学校 その2

先日、関西大倉中学校・高等学校にうかがい、美術の授業を見学させていただきました。前回は美術室の様子をお伝えしましたが、今回は、授業について紹介します。

 

「自由な表現ができるようになるためのカリキュラム」

関西大倉中学校・高等学校では、美術の授業は中学3年間は1時間ずつ、高校は芸術選択の1つとなり、高校1年生2時間、高校2年生1時間となります(1時間は55分)。

 

中学では基本的な道具の使い方を学びながら、木工芸、水彩、粘土、陶芸を体験します。高校では油彩、造形、デザインなどを学んだ後、2年生の後期で「選択制最終制作」を行います。絵画、立体(木彫又は自由素材)、デザイン(室内設計又は建築模型)の4つから生徒が自分で表現を選び、約15時間をかけて取り組みます。大学の卒業制作みたいですね。

 

<文化祭での作品展示>

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最終制作のゴールは、自分の考えや思いを伸びやかに表現できるようになることだそうです。

 

自分の考えや思いを伸びやかに表現する、これって、よく考えると、大人でも、いや、大人にこそ難しいことではないでしょうか。まず、自分とは何か。どんな存在かということに向き合う。その自分が発したいメッセージを自由にと言われると、何を表現すれば、と、はたと立ち止まってしまいます。たぶんこれは、何を表現すれば、ではなく、何かを表現したいという思いが沸き上がってきてこそ、表現と呼べるのでしょう。

 

「生徒たちの中には、自分に自信を持てない者もいます。高校受験を経験し、失敗することが怖くなったり、先生に求められていることを読み取り、それに応えようとする様子が見えることもあります。自信が持てないと、自分の立ち位置が見えづらく、萎縮した状態になってしまいます」と渋谷先生。

 

「線を引くとは何かを学ぶ、2時間の授業」

それを変えていくために、高校の授業は、正解を求めるのではなく、自分が感じたことを表現する体験からスタートします。高校1年生の2回目の授業のテーマは「線を引く」。線を引くことを学ぶために、2時間を使います。

 

線のトレーニングは、縦に置いた紙に、垂直と水平の線をフリーハンドで描くことからスタートします。「一発勝負で」「最高の線を」という、先生からのプレッシャーもあり、生徒さん達は誰もが真剣。なかなかうまく描けません。

 

 

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それを見ながら先生から一言「緊張して描くと悪い線や癖が出てしまう」

線は体全体で描くものだから、体が縮こまっていると良い線は描けないそうです。

それを体感するために、線の実力テストは行われたのでした。

 

<下写真の左側が縮こまった状態、右側が伸びやかな状態>

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良い線を描くコツは3つだそうです。

 -体を柔らかくして描く

 -線の先を読んだり、ねらいをつけて描く

 -リズミカルに描く

 

そして味わいながら描けるようになると、良い線が描けるようになるそうです。美術の線は記号でなく、表情としての線。だからたった一本の線でも表現出来ることがたくさんあるそうです。

生徒さん達は、はじめは、線なんてこれまで何度も引いてきたし、簡単に描ける!という雰囲気でしたが、イメージ通りにいかなかったこと、線の描き方や意味をあらためて学んだことで、次第に集中していきます。ランダムな斜線、平行線、円、楕円などの練習が続きましたが、静寂の中でさらさらと鉛筆の音が響いている。全員が線を描くことに意識を集中している、という状態は、見ているほうがぞくぞくするというか、あふれるエネルギーを感じました。

 

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(次のブログに続きます)

arts.hatenablog.jp

 

<過去の記事>

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自身と向き合う美術の授業―関西大倉中学校・高等学校 その1

みなさまこんにちは。清水葉子です。

先日、関西大倉中学校・高等学校にうかがい、美術の授業を見学させていただきました。

関西大倉中学校・高等学校は、百年あまりの歴史を持つ、男女共学の進学校です。大阪府茨木市の緑豊かな環境に校舎が立ち、おだやかな、明るい雰囲気がある学校です。

色々ご紹介する部分がありますので、何回かに分けて掲載していきますね。

 

「先生のアトリエを訪れるような美術室」

正面を入ってすぐ右手にあるのが芸術棟で、美術室と、書道室が入っています。

 

<緑に囲まれた芸術棟。左手に見えているのが、美術室の入り口です。>

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美術室は2層になっています。

<こちらが1階で、静物のスケッチなどを行うスペース>

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<こちらが2階で、講義、実習が行われる部屋です。>

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美術室には、画家でもある渋谷先生の作品、卒業生の作品、

色々な道具など、生徒さん達の好奇心を刺激するようなものがたくさん置かれています。

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窓からも新緑が見えます。

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教室というより、アトリエのようですね。昭和47年に建てられたというこちらの芸術棟。新しい施設にはなかなか出せない、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。

生徒さん達が他の教室から移動してくる際、いったん自分をリセットし、切り替えて授業に臨むことができるようにと、場づくりに配慮されているそうです。

 

カリキュラムの話に続きます。

 

arts.hatenablog.jp

 

美術館は誰のためのもの?

みなさまこんにちは。ゴールデンウィーク、関西では晴天が続いておりますが、

みなさまいかがお過ごしでしょうか。

私は混んでいるかもしれないと思いつつ、京都に行ってみました。

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京都府立陶板名画の庭、というところです。

京都府立陶板名画の庭

陶板に表現されたモネ、ゴッホミケランジェロなどの名画が、屋外スペースに展示されています。陶板なので、水面の下に展示しても、日の当たるところに展示しても大丈夫。近づいてみても、少し触れても大丈夫。そして、それは子どもと一緒に見ても気を使いすぎない、ということも意味していて、私もリラックスして楽しむことができました。人も少なかったですし、屋外だったので、子ども達と色々話をしながら見ることができました。

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美術館にもよりますが、中には子どもがいるというだけで、すごく敏感な対応をされることがあります。以前横浜の某美術館に行った時には、入り口で子どもと必ず手をつなぐようにという紙を渡され、鑑賞中も子どもの動きをずっと見られていました。

もちろん、他の方の迷惑になるようなことはしてはいけませんが、作品を見ながら思ったことを言い合うこともはばかられるような環境では親子ともに楽しめませんし、美術館は窮屈なところだと感じてしまった子どもたちは、大人になっても自分から美術館には足を運ばないかもしれませんね。

 

そこで以前思い出したのは以前読んだこちらの本。

「学力を伸ばす美術教育」

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本書は、1990年代にアメリカで始まった美術鑑賞教育、VTS(Visual Thinking Strategies)について、その概念と実施方法、他教科への取り入れ方について解説されています。

 

美術鑑賞には前提となる知識が必ずしも必要ではなく、鑑賞をしながら「これは何だろう?」「どうしてこうなるんだろう?」などと問い続けることを許容したほうが、その体験が自分のものになる、という考え方が、VTSの根底にあります。

 

VTSを授業で行う場合は、1枚の絵をみんなで見て、それぞれが感じたことを言い合う、という方法がとられ、先生がファシリテーター役になり、深めていきます。これを行うことで、観察力、思考力、表現力がついていくということです。

 

もちろん、教室で、教科書や写真を見ながらでも、効果はあるとは思いますが、実物大サイズや、本物から受け取れるメッセージも、多くあると思います。美術を大人のものだけにせず、もっと広く、みんなのものにできたらいいのでは?