自身と向き合う美術の授業―関西大倉中学校・高等学校 その3

先日、関西大倉中学校・高等学校にうかがい、美術の授業を見学させていただきました。続いて授業について紹介します。

 

「価値観を揺さぶる渋谷先生の授業」

人はあふれる情報を整理するために、無意識に定義づけ、カテゴリー分けをするのだと思います。もちろんそれは生きていく上で大切で、必要なことなのですが、定義づけにより見過ごしてしまったり、知らずしらずのうちに自分がそれにとらわれてしまうこともあるのだと思います。渋谷先生の授業では、それをどんどん揺さぶっていきます。

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こちらも、前回ご紹介した線の授業の1シーン。自分の名前を5回書くのですが、そのスピードをどんどん速くしていく、というもの。条件は「時間内に書くこと」「大きく書くこと」だけ。それぞれの制限時間は、上から15秒、12秒、8秒、4秒、一番下はほぼゼロ秒です。最初は全員が書けるのですが、4秒くらいから時間内に書けなくなる生徒が出てきます。それを先生は「字だから読めるように書かなければ」という考えに縛られ、心のブレーキがかかっているからだ、と指摘します。「条件は時間と大きさだけだと伝えても、『きれいに書かなければ』とか『読ませなければ』という余計な荷物を
背負ってしまう。荷物を棄てよ」と渋谷先生。そこで、生徒達は無意識に字を書くという行為に自分で前提条件をつくってしまっていたことに気が付くのです。

 

これも、前回のブログでご紹介した記号の線と美術の線の違いを体感するためのワーク。心のブレーキを外して書ききると、秒数が短くなってだんだん読めなくなった線の中に、記号が剥奪された、勢いを表現する美術の線、つまり記号とは真逆の線を発見できるのです。

 

 

6月に入ると、静物描画の間に「フィンガーペインティング」という授業が行われます。それまでに学んだ技法をいったん捨てて、自分を周囲の人に表現することをやってみます。(詳細は渋谷先生へのインタビュー参照)

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高校1年生の後半から、2年生の前半には、抽象画を描くのですが、ここでも渋谷先生は絶対に正解を言わず、その代り様々な資料を紹介しながら生徒達の価値観、アイディアの幅を広げていきます。

<写真はピカソの動画鑑賞。ピカソがどのように自己と向き合い、スタイルを確立したかについて紹介されています>

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それは自身ととことん向き合う時間。高校という、何かと慌ただしい時期に、自身とじっくり向き合い、自分は何が表現したいのか悩む時間というのは、とても贅沢な時間だなぁとうらやましく感じました。

 

渋谷先生によると、昔の高校生と比べて、今の高校生は自分と向き合う時間が減っているそうです。勉強や部活ももちろんですが、テレビやゲーム、SNSなども、その時間を奪っているようです。コミュニケーションの力を高めるには、自己をしっかり持ち、立ち位置をしっかりとつくって、相手に考えや思いを伝えることが必要です。渋谷先生の授業では、その両方に大切なことを学べる授業なのではないでしょうか。

 

(渋谷先生のインタビューに続きます)

arts.hatenablog.jp

 

 

<過去の記事>

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