「ものづくりの壁」を超えると見えてくるもの―道用大介先生インタビューその2
みなさまこんにちは。清水葉子です。今回は、神奈川大学の道用大介先生に伺ったお話の続編をご紹介します。
その1はこちらをご覧ください。
http://arts.hatenablog.jp/entry/2019/11/30/223536
さて、前回も学生さん達の作品を紹介しましたが、加えていくつか紹介させていただきます。これらは、2019年8月30日~9月4日、江の島にある Gallery-Tで行われたFAB作品の展示会「デジタルファブリケーションが切り拓く、新しいモノ作りのカタチ」で見せていただいたものです。
私は、FABの機器でつくれるのは試作、という認識が強かったのですが、そのまま実際に使えるものができるんですね!今回展示会を見せていただき、その発想力と完成度の高さには本当に驚かされました。
「理系の、とくにものづくりに普段から関わっている学生にとっては、FABは一つの道具というか、まあそうなるよね、というような感じで、そんなに驚きや感動はないんです。でも、文系の学生達は違いますね。FABを使うと、時代の最先端のものづくりに関われる、という認識もあるのでしょう。明らかにモチベーションが上がります。今の文系の学生達は、なんでもコンピューターの中で調べ、つくり、完結してしまう傾向にあります。インターネットで情報を集め、プランをつくり提案、それで考えた気になってしまうのですが、実用化できないアイディアも多いです。FABの機材を使って実作してみてはじめて、彼らは手を動かしながら考えるということができるようになります。なんでもWebで済ますのではなく、リアルなものづくりにつなげることで、日常生活や他の分野での思考の際にも、物事を疑ったり、根本から考えたりすることができるようになります。アイディアの発想ももちろん大切ですが、それを実際のプロセスに落とし、仕上げていくことも大切で、そこに手を動かしたことがある、考えてものづくりをしたことがあるという経験は、この先の様々なシーンで生きてくると思います(道用先生)」。
手を動かしながら考える、作りながら考える、というのは、それをやったことが無い人にとってみると、技術的にも、心理的にもハードルが高いものです。でも、ここを乗り越えて作りながら考えられるようになると、どのような分野でもその力を発揮することができるのです。
道用先生によると、アイディアを形にするメリットは、もう一つあるそうです。
「課題に取り組むプロセスの中で、問題発見の段階で出てくるアイディアは、他の人とそれほど違いがなく、同じようなアイディアなんですね。でもそれをアウトプットとして形にしていくと、どんどん違いが出てくる。個人のアイディアの輪郭があきらかになってくる。アイディアで終わるとみんな同じなのに、形にすると違いが出てくるところが、ものづくりの面白いところです(道用先生)」
道用先生の商品企画にFABを取り入れる授業は、2014年から行われていて、今年でもう6年目になるそうです。当初は3Dプリンタやレーザーカッターで何かをプリントするだけだったのが、機構や複雑な仕組みをつくるようになるなど、年々学生達のものづくりのレベルが上がってきているそうです。ファブラボを起点とし、学生さんたちにものづくりの文化が浸透してきているのということですね!
いかがでしたか?学生さん達が使われているファブラボ平塚は、一般の方の利用も可能なので、お近くの方、訪問されてみてはいかがでしょうか。
道用先生、お忙しいところお話を聞かせていただき、ありがとうございました!
「ものづくりの壁」を超えると見えてくるもの―道用大介先生インタビューその1
みなさまこんにちは。清水葉子です。ここ数日で急に気温が下がり、冬がやってきましたね。風邪をひかれないよう、あたたかくしてお過ごしくださいね。
さて本日は、ものづくりについて書きたいと思います。こちらのブログでも何度か紹介させていただいたFAB(デジタルファブリケーション)が、教育現場にも取り入れられるようになってきています。もともとFABは、個人や、ものづくりについて専門的な技術を持たない人も、自分で作れるようにすることを目的としていますから、はじめから教育現場には入れやすい形になっているといえるでしょう。もちろん導入にあたってはある程度の技術的な指導が必要ですが、それ以上に必要となるのは、FABを教育現場に入れることで起きる現象や、期待される効果を想定しておくことです。教育デザイン系、理系の教育分野だと、カリキュラムの方向性に沿った形で導入できると思いますが、文系の学部学科や、まだ専門分化していない中学校、高等学校に導入する場合は、その位置づけ、意味づけが必要になってきます。でも私は、そういった分野でこそ、FABが効果を発揮すると感じています。その感覚をどうやって言語化したらいいのか、試行錯誤をしている時に、道用大介先生の講演をうかがう機会があり、ものすごくわかりやすく、感動したので、神奈川大学平塚キャンパスのファブラボ平塚にうかがい、お話を伺いました。その内容を、紹介させていただきますね。
文系学科にFABを取り入れる意味とは
道用大介(どうようだいすけ)先生は、神奈川大学 経営学部 国際経営学科の准教授として、経営工学、ソーシャルファブリケーションの研究をされています。また、2016年、キャンパス内に「ファブラボ平塚」を開設され、国際経営学科の学生に、デジタルファブリケーションの指導をされています。国際経営学科は、文理でいうと、文系の学科になります。その授業にFABを取り入れられるというのは、とても珍しいと言えるでしょう。国際経営学科の2年前期では、商品企画設計論という、約200名が受講する講座があり、この授業で学生さん達は、個人でマーケティング、商品企画をした商品を、3DCADを使って設計します。また、2年前期の選択制の演習の授業では、ファブラボの機材を使い、3DCADのデータを3Dプリンタで出力したり、レーザーカッターで切り出して組み立てるところまで行います。後期の演習では、少人数でじっくりものづくりを行います。
キーワードは「イノベーション」と「社会実装」
なぜ、文系の学科の授業でにFABを取り入れられているのか?そこには「イノベーション」と「社会実装」が重要キーワードとして出てきます。道用先生が、学生の学びの中で特に大切にされているのが、「社会実装」です。
「経済産業省・特許庁の『産業競争力とデザインを考える研究会』が2018年に発表した『デザイン経営宣言』では、日本は研究・開発の力はあるが、それを実用化し、その結果として社会を変える社会実装をする力が弱いと述べられています。「イノベーション」という言葉は、これまで日本語に翻訳されてきた「技術革新」だけでなく、技術を社会実装するという意味も含まれています。真の意味でのイノベーションを起こすためには、ビジネス、テクノロジー、デザインの3つを、領域を超えて融合させる必要があるのです。研究会からの問題提起に、教育現場として応えるためには、アイディア発想力だけでなく、その先の壁を越えて、実装までもっていく力や生産能力が必要で、そのためには、デジタルファブリケーション=FABの技術を、教育現場に取り入れることが有効だと私は考えています(道用先生)」
真のイノベーションを起こすためには、文理関係なく、アイディアを形にできる社会実装力が求められるということなんですね。大学には学部や学科という枠組みがあるので、どうしても学生たちは、自分の将来に直接役立ちそうな学びを選択する傾向があるそうです。道用先生は、その信念のもと、文系の学生達に、彼らの将来にもFABは役立つ、ということを伝えながら、授業を行われているそうです。
では実際にFABを授業に導入し、学生さんたちにはどのような変化が起こったのでしょうか。FABが商品企画の授業に導入されるまでは、アイディアを出し、その企画を文書化する、というところが授業のゴールだったそうですが、そのアイディアが実際に機能するかどうかの検証が行われることは少なかったそうです。しかし、FABを導入してからは、それまでアイディアどまり(空想的態度)になってしまい、越えられなかった「ものづくりの壁」を、FABの力を借りて越えることができるようになったそうです。
一度その壁を超えてしまうと、学生さん達の成長は素晴らしく、そのスピードや技術は、理系の学生さんと全く変わらないそうです。そして新しい課題にも躊躇なく取り組めるようになったそうです。
授業での実例紹介
授業でどんなものがつくられているのか、実例を教えていただきました。
まずこちらは、視覚障がいを持つ方向けの、持ち手のデザインを変えられる杖です。この課題では、学生さんたちは視覚障がいを持つ方に直接ヒアリングをし、そこで、視覚障がいを持つ方も周りからどう見られるかに気を使っていることに気づいたといいます。そこで、自分で着せ替えのように持ち手のデザインをカスタマイズできる杖を発案し、実際に試してもらいながら作り上げたということです。
また、こちらは「好きなジュースを飲める装置」です。なんとモデリングから実装まで、1週間で作り上げたそうです。
(つづきます)
アートとサイエンスが影響しあって未来ができる(未来と芸術展より感じたこと)
みなさまこんにちは。清水葉子です。
2019年11月19日より、森美術館で開催されている、
「未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命――人は明日どう生きるのか」
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/index.html
に行ってきました。
この展覧会では、都市、建築、ロボット、衣、食、生活、医療など様々な分野で、新しい技術の可能性について模索するアート作品が多数展示されていて、とても見ごたえのあるものでした。
私は大学で建築を学んでいたので、特に前半の都市の部分を面白く見ていたのですが、小単位のユニットを組み合わせて街や建物をつくる時に3Dプリンタが使われたり、自動運転の技術が取り入れられたりしているのが面白いと思いました。
こういった未来都市のアイディア自体は、実は1960年代に、かなり近い形で描かれているのです。日本の当時の若手建築家達によるグループ「メタボリズム」は、1960年代にすでに、新陳代謝可能な建物や都市を描いていましたし、同じ時代にイギリスで活動していた建築家グループ「アーキグラム」も、空間ユニットを組み合わせた街や、ネットワーク化された「コンピュータ・シティ」を発表していました。まだコンピュータもあまり普及していない時代にそういう世界を描けること自体がすごいなあと思うのですが、半世紀経って、それに技術が追いついたんだと思うと、本当に感慨深いです。
建築だけでなく、他の分野もそうで、手塚治虫さんが描いた世界が今現実になろうとしていたり、SFの世界で描かれていたような遠距離でのモノの移動が技術により可能になりつつあったりと、人が過去に描いた世界が、技術により実現される日も近いんだなあ、と感じました。
(下の写真はお寿司をデータにして送ることで、遠隔地でお寿司の形と味を再現できる3Dプリンタです)
さて、これらを見て私が感じたのは、やっぱりアートってすごいパワーを持っているし、アートとサイエンスの相乗効果ってすごいな、ということです。先日読んだ本「「なぜ?」から始める現代アート」にもあったのですが、サイエンスは、何か新しい物や説を世に出す時に「1万回同じ実験をして、1万回同じ結果」であることが求められるそうです。それに対してアートは、それを見る人に問いを投げかけたり、提案をすることができる。誤解をおそれずに言えば、それを受け取った人がどう感じるかに、数学的根拠はいらないのです。その分、アートは早く実験ができるし「できるかどうかはともかく、こういうのがあったら面白いんじゃない?」というある種の妄想もふくんだ提案ができるわけです。
今日の展示を見て、先人たちの自由なアート表現があったからこそ、サイエンスが追いついてきたのではないかなあ、と感じました。
同時にまたその技術を起点に新しいアート表現が出てきて、今叶えられない部分はまた新しい技術が追いついて、というように、アートとサイエンスは影響しあっていくのではないのでしょうか。
展覧会は3月29日までです。展示量が多いので、じっくり見たい方は、余裕を持って行かれるのがお勧めです。
#森美術館 #未来と芸術展 #アートとサイエンス
FABの可能性について今こそ考えてみよう -「FABに何が可能か―『つくりながら生きる』21世紀の野生の思考」を読んで
みなさまこんにちは。清水葉子です。例年よりも長いゴールデンウィーク、どのようにお過ごしですか?
さて、本日はFAB(パーソナルファブリケーション)について、最近読んだ本をご紹介したいと思います。
最近、学校内に3Dプリンターやレーザーカッターを設置し、生徒が授業やクラブ活動で使用する例が見られるようになってきました。レーザーカッターは、手で材料を切り出すよりも正確でものすごく早いですし、手では切り出せない材料も扱えたり、すごく細かな作業もしてくれます。3Dプリンタは時間はかかりますが、PCで作った立体をその通りにプリントしてくれます。3次元をいったん2次元に落として考えなくて良いので、発想が広がります。
今まで触れることがなかなかできなかったこれらの機械が学校にある事で、ものづくりの可能性は広がります。機械を使うためにデータの作り方を学んだり、機械の設定の仕方を覚えることは、新しいモノづくりの手段を手に入れられ、発想を広げるという点でも、とても良いことだと思います。でも、これらの機械が示す可能性は、それだけではありません。
日本にファブラボを紹介、普及した田中浩也さん、学校での実践など教育分野にも展開された門田和雄さんが編著を行った「FABに何が可能か―『つくりながら生きる』21世紀の野生の思考」では、お二人に加え、多くの実践者、研究者が、FABに何ができるのか、について、地域、グローバル、循環、職業、経済、産業、教育、芸術という観点から考察を行っています。一つの答えを出そうとしているわけではなく、FABとは何か、ファブラボはどんな機能を果たすのかについても本書内で議論がされているのが、面白いところだと思います。
まず、FABには以下の3つのポイントがあります。
1つ目は、例えればテーブルの上に小さな工場が出現し、個人が企業や工場に頼ることなく、ものづくりの試行錯誤ができるということ
2つ目は、データをインプットし、実体をアウトプットできる仕組みがあることで、同じものが何度もつくれることはもちろん、データを他の人と共有することで、実体のコピーや、少し改変したコピーが可能になること
3つ目は、インターネットの普及により、物理的に距離のある場所へも簡単にデータが共有できること。つまり、インターネット+FABで、ある意味実体の転送が可能になるということ です。
特に3つ目については、田中先生が本書の中で「コンピュータがつながれ脳がつながる“ウェブの社会”の進化系として、道具がつながり手がつながる“ファブの社会”が到来している(p104)」と書かれていて、面白いと思いました。この20年ほどで急速に発達したインターネットにより、世界中のどこにいても同じ情報が手に入れられるようになりました。次にFABが普及し、世界中のどこにでも実体を転送できるようになるということは、インターネットを使ってコンピュータからモノが飛び出してくるようなものですよね!それは単に輸送コストの削減だけでなく、ものをデータとして共有する面白さが含まれています。
世界中の色々な生活環境、文化、素材、人と、インターネットからやってきたそのようなモノはどうかかわっていくかについて考えることは、グローバルになったように見える世界を、もう一度ローカルから問い直すことを可能にするのではないか、と本書を読んで感じました。
また、FABやファブラボは機械のことだけを指しているのでなく、そこに関わる人や、人々の関係性までも指しているということが、本書を読んでよくわかりました。そこには機械を使ってつくる人はもちろん、その機械自体を作る人、制作過程をデザインする人、コミュニティを作る人など、様々な立場の人が含まれているという話もとても面白かったです。
FAB関連の機械が高性能に、安価になってきている今だからこそ、ただ機械を置いて終わり!ではなく、その意味や目的、可能性についてあらためて考えてみることが大切なのではないでしょうか。
小説からアートを楽しむ-原田マハさんの小説について
みなさまこんにちは。清水葉子です。
寒い日もありますが、梅も咲き、だいぶ暖かくなってまいりましたね。春も、もうすぐです!
さてみなさんは、絵画を、どのように楽しみますか。色、形、バランス、筆遣い、モチーフ、ストーリー?私が発見した最近の楽しみ方は、小説です。今日は、アートに関する小説を数多く出版されている、原田マハさんについて書きたいと思います。
小説家、原田マハさんは、美術館勤務のご経験があり、特に印象派や後期印象派を題材にした小説を多く書かれています。画家たちの日常、人となり、創作活動を、学芸員、モデル、画商、恋人、家族など、周辺の人たちの語りを通して描いたり、学芸員やコレクターなど、アートに様々な立場から関わる方の、アートへの愛を描いていきます。そのどちらからも、画家本人とその作品への愛情が感じられるものが多く、読むことでその時代の画家達がより魅力的に感じられ、作品に興味がわいてきます。
2012年に出版された「楽園のカンヴァス」は、素朴派と言われる画家、アンリ・ルソーの描いたある作品が、真作か、贋作かについて、2人の学芸員がその判定を迫られるというものなのです。舞台は現代なのですが、そのストーリー中には、ルソーの生きた時代についての描写も多くあり、また、謎解きのような一面もあり、楽しめます。
2015年に出版された「ジヴェルニーの食卓」は、短編集です。
アンリ・マティス、エドガー・ドガ、ポール・セザンヌ、クロード・モネの日常が、様々な視点で描かれています。パブロ・ピカソやメアリー・カサット、ゴッホ、ゴーギャンなどがストーリーの中にちらりと登場するのも、面白いです。印象派の画家たちの中には、なかなか価値が認められず、死後初めてその価値を認められた方も多く、評価も、経済的な豊かさも得られない中での創作への熱意や、周囲の創作活動や作品に対するあたたかいまなざしを感じることができます。
そして、2017年に出版された「たゆたえども沈まず」は、フィンセント・ファン・ゴッホの生涯、その創作活動について、弟テオと、パリで浮世絵を中心に日本の美術品を扱っていた画商、林忠正と重吉の視点から描かれた小説です。ゴッホについてはもちろん、弟テオの人柄について、心に染みる内容になっています。ゴッホと日本の関係については、2017年に日本で開催されたゴッホ展をご覧になった方はより楽しめるかもしれません。
2018年に出版された「モダン」も、短編集です。
こちらは、画家や作品名も多く出てきますが、学芸員、キュレーター、監視員、デザイナーなどからみた、美術館を舞台とした物語が続きます。展覧会って、このようにつくられているんだ、美術館を運営側から見ると、こんな風になっていて、関わる人達にはこんなドラマがあるんだ、ということが、わかるお話が多いです。
同じく2018年に出版された「暗幕のゲルニカ」は、2001年にニューヨークで起こったテロと、1937年に起こったスペイン、ゲルニカへの空爆をテーマにし、2つの時代をパブロ・ピカソの「ゲルニカ」を切り口に、並行して描いていきます。登場人物や構成に「楽園のカンヴァス」との重なりを楽しみつつ、戦争、平和と芸術の関係について考えさせられる内容になっています。
どの小説も、原田さんの綿密なリサーチが下地となっているのですが、その上に、原田さんの描いた人物像、ストーリーがのせられていて、あたたかい気持ちになりますし、アートへの興味が高まります。よろしければ、読んでみてくださいね。
次は誰のお話が読めるのか、とても楽しみにしています。
↓原田マハさん公式サイトはこちらです。
こちらのworksから書籍を見ることができますよ。
芸術鑑賞も、創作活動である-「20年経った今、日本の対話型鑑賞はどうなったのか?」に参加して
みなさまこんにちは。清水葉子です。早いもので今年ももう3月!まだ寒い日もありますが、梅や桜が楽しみな季節がやってきますね。
さて、少し前になりますが、1月26日、NPO法人Educe Technologiesさん主催の勉強会「20年経った今、日本の対話型鑑賞はどうなったのか?」に参加させていただきました。テーマは、作品を対話しながら鑑賞する「対話型鑑賞」でした。最近仕事で少し芸術鑑賞に関わっていることもあり、鑑賞とは何か、もっとよく知りたくて、参加しました。
まずグループで対話型鑑賞の体験をした後、主催の吉川さんより、対話型鑑賞の歴史や、日本に導入された経緯についての説明がありました。その後、3名のゲストの先生方(神野真吾先生(千葉大学教育学部 准教授)、三澤一実先生(武蔵野美術大学造形学部 教育課程研究室 教授)、平野智紀先生(東京大学大学院 学際情報学府 博士課程))にお話をうかがった後、その内容についてグループで話し合う、という流れでした。4時間がとても短く感じる濃い内容で、とても勉強になりました。
学んだこと、感じたことはたくさんあるのですが、2点共有します。
1.鑑賞も、創作であるということ
この言葉に個人的に一番衝撃を受けました。手を動かさない鑑賞という行為を、どのようにアートの中に位置づけるべきかともやもやしていたのですが、たしかに鑑賞も創作なんです!厳密に言うと、ただ見るという行為が創作という訳ではなく、作品を見て、感じたこと、考えたことを鑑賞者が自分の中で再構成することを、創作と呼んでいます。これは知識を自身で構成して理解する、つまり学び方を創作するという構成主義の考え方と重なります。感じたことを文字そしてストーリーにすることも助けます。
2.鑑賞者に提供する情報は、鑑賞者が再構成可能な形で行うこと
この勉強会では、芸術鑑賞と情報提供の関係についても、大切なテーマになっていました。情報の内容や、提供のタイミングはどういったものが適切か、ということです。これを「鑑賞は創作」という考え方に基づいて考えると、とてもクリアになると感じました。つまり、鑑賞者を主体とし、鑑賞者が創作活動をするために必要になる情報提供を、鑑賞者が必要とするタイミングで提供するのが最も効果的ということです。三澤先生のお話の中にあった情報の分類は、それを模索するのにとても有効だと感じました。「提供」と書きましたが、鑑賞者が自分で情報を拾える環境、といったほうがしっくりくるのかもしれません。
当日写真を撮ることをすっかり忘れておりまして、言葉だけでわかりづらい部分もあり、恐縮ですが、上に挙げた2点の観点を得られ、芸術鑑賞について、より面白いと思えるようになりました。平野先生が翻訳に関わられている「学力をのばす美術鑑賞 ヴィジュアル・ シンキング・ ストラテジーズ: どこからそう思う?」にもそのあたりのことが書いてあります。あと、書きそびれた「対話型」についてもよくわかります。興味をお持ちの方は、ぜひ読んでみてください。
会場や話し合いの場もとても心地よいものでした。参加させていただき、ありがとうございました。
セルフマネジメント力は、これからの教育の場にも必要な力―「管理ゼロで成果はあがるー『見直す・なくす・やめる』で組織を変えよう」を読んで
昨年末のブログにも書かせていただきましたが、教育の領域では、これからますます学習者主体の環境と学びの個別化が進んでいきます。学習進度を周りに合わせなくてよいのは学習者にとって大きなメリットですが、それは同時に、自分で学びを進めていく難しさに直面することでもあります。
先日コアネット発行の情報誌「FORWARD」の取材同行で、株式会社ソニックガーデンの代表取締役社長、倉貫義人さんにお話を伺う事ができました。会社の運営、人材育成のお話がメインでしたが、現在の教育課題に通じるヒントもたくさんいただきましたので、ご紹介したいと思います。
倉貫さんには2年前に関西で行われた「リモートワークジャーニー」という講演会+ワークショップで初めてお話を伺いました。ソニックガーデンは、全員がリモートワークという会社組織であること、クライアントとの打ち合わせや採用面接もリモートで行うという事実と、リモートワークの肯定的なとらえ方に衝撃を受けたことを今もはっきりと覚えています。その後、リモートワークだけでなく「納品のない受託開発」という新しい仕事の進め方を採用されていること、上司がいなくて、決裁や有給休暇の申請も必要ない組織であることを知りました。
そして今回お話を伺い、そういった一見自由に見える組織や働き方を可能にする「セルフマネジメント」とはいったいどういうもので、どのようにその力をつけるのかを教えていただき、さらに衝撃を受けました。
セルフマネジメント力(りょく)とは、自分で自分を管理する力です。これがあると、自分が担当する仕事に時間やリソースなど、何がどのくらい必要かを把握することができ、それに基づき自分で仕事を進めることができます。そのため、上司の指示や管理がいらなくなり、リモートでも問題なく仕事ができるようになるのです。ソニックガーデンのような環境は、セルフマネジメント力がある人にとっては、とても自由でやりがいがある一方、まだセルフマネジメント力がついていない人にとっては決して楽ではない環境なんです。私はここがとても面白いところだと感じます。
そしてソニックガーデンには、セルフマネジメント力をつけるための段階的なサポートがあります。会社として、ここまでできたらどのくらいのレベルにいる、ということをあらかじめ設定しているのですが、そのレベルには役職のように人数枠がなく、全員が一番上のレベルになることが奨励されています。また、定期的な仕事の振り返りで、自分のレベルについて確認していくのですが、それも上司の一方的な評価ではなく、先輩のサポートを受けながら、自分自身で仕事のやり方を振り返り「よかったこと」「悪かったこと」「次にやってみること」の3つの視点で、次のアクションにつなげる形で振り返りを終わるといったやり方をとられています。
このやり方が一般的な会社組織と大きく違うのは、社員のみなさん一人ひとりが、自分の成長に目を向けて、自分で改善を重ねていけるところだと思います。上司など他者からの評価が育成の軸になる場合、連続的に自己成長をすることが難しくなることもありますよね。
私はこの部分が特に、これからの学校現場に求められることと重なると感じました。
これからの教育の場で、学習者一人ひとりが、自分で学びを進めていけるようになるには、先生からの評価だけでなく、自身での振り返り、改善が欠かせないのではないでしょうか。そしてそれができるようになる未来は決して辛いものではなく、自分で決められることが多い、楽しい未来なんだな、ということが、今回お話を伺い、強く感じたところです。
倉貫さん、お忙しいところ色々と教えていただき、本当にありがとうございました。
セルフマネジメント力のもっと具体的なお話はもちろん、チームでどう成果を出すか、あたりまえと思われてきた制度を無くすとどんな効果があるかなど、1月に出版されたばかりの倉貫さんのご著書「管理ゼロで成果はあがるー『見直す・なくす・やめる』」に詳しく書かれています。ぜひお読みくださいね。