芸術鑑賞も、創作活動である-「20年経った今、日本の対話型鑑賞はどうなったのか?」に参加して

みなさまこんにちは。清水葉子です。早いもので今年ももう3月!まだ寒い日もありますが、梅や桜が楽しみな季節がやってきますね。

 

さて、少し前になりますが、1月26日、NPO法人Educe Technologiesさん主催の勉強会「20年経った今、日本の対話型鑑賞はどうなったのか?」に参加させていただきました。テーマは、作品を対話しながら鑑賞する「対話型鑑賞」でした。最近仕事で少し芸術鑑賞に関わっていることもあり、鑑賞とは何か、もっとよく知りたくて、参加しました。

 

まずグループで対話型鑑賞の体験をした後、主催の吉川さんより、対話型鑑賞の歴史や、日本に導入された経緯についての説明がありました。その後、3名のゲストの先生方(神野真吾先生(千葉大学教育学部 准教授)、三澤一実先生(武蔵野美術大学造形学部 教育課程研究室 教授)、平野智紀先生(東京大学大学院 学際情報学府 博士課程))にお話をうかがった後、その内容についてグループで話し合う、という流れでした。4時間がとても短く感じる濃い内容で、とても勉強になりました。

 

学んだこと、感じたことはたくさんあるのですが、2点共有します。

 

1.鑑賞も、創作であるということ

この言葉に個人的に一番衝撃を受けました。手を動かさない鑑賞という行為を、どのようにアートの中に位置づけるべきかともやもやしていたのですが、たしかに鑑賞も創作なんです!厳密に言うと、ただ見るという行為が創作という訳ではなく、作品を見て、感じたこと、考えたことを鑑賞者が自分の中で再構成することを、創作と呼んでいます。これは知識を自身で構成して理解する、つまり学び方を創作するという構成主義の考え方と重なります。感じたことを文字そしてストーリーにすることも助けます。

 

2.鑑賞者に提供する情報は、鑑賞者が再構成可能な形で行うこと

この勉強会では、芸術鑑賞と情報提供の関係についても、大切なテーマになっていました。情報の内容や、提供のタイミングはどういったものが適切か、ということです。これを「鑑賞は創作」という考え方に基づいて考えると、とてもクリアになると感じました。つまり、鑑賞者を主体とし、鑑賞者が創作活動をするために必要になる情報提供を、鑑賞者が必要とするタイミングで提供するのが最も効果的ということです。三澤先生のお話の中にあった情報の分類は、それを模索するのにとても有効だと感じました。「提供」と書きましたが、鑑賞者が自分で情報を拾える環境、といったほうがしっくりくるのかもしれません。

 

当日写真を撮ることをすっかり忘れておりまして、言葉だけでわかりづらい部分もあり、恐縮ですが、上に挙げた2点の観点を得られ、芸術鑑賞について、より面白いと思えるようになりました。平野先生が翻訳に関わられている「学力をのばす美術鑑賞 ヴィジュアル・ シンキング・ ストラテジーズ: どこからそう思う?」にもそのあたりのことが書いてあります。あと、書きそびれた「対話型」についてもよくわかります。興味をお持ちの方は、ぜひ読んでみてください。

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会場や話し合いの場もとても心地よいものでした。参加させていただき、ありがとうございました。