FABの可能性について今こそ考えてみよう -「FABに何が可能か―『つくりながら生きる』21世紀の野生の思考」を読んで

みなさまこんにちは。清水葉子です。例年よりも長いゴールデンウィーク、どのようにお過ごしですか?

さて、本日はFAB(パーソナルファブリケーション)について、最近読んだ本をご紹介したいと思います。

 

最近、学校内に3Dプリンターやレーザーカッターを設置し、生徒が授業やクラブ活動で使用する例が見られるようになってきました。レーザーカッターは、手で材料を切り出すよりも正確でものすごく早いですし、手では切り出せない材料も扱えたり、すごく細かな作業もしてくれます。3Dプリンタは時間はかかりますが、PCで作った立体をその通りにプリントしてくれます。3次元をいったん2次元に落として考えなくて良いので、発想が広がります。

 

今まで触れることがなかなかできなかったこれらの機械が学校にある事で、ものづくりの可能性は広がります。機械を使うためにデータの作り方を学んだり、機械の設定の仕方を覚えることは、新しいモノづくりの手段を手に入れられ、発想を広げるという点でも、とても良いことだと思います。でも、これらの機械が示す可能性は、それだけではありません。

 

日本にファブラボを紹介、普及した田中浩也さん、学校での実践など教育分野にも展開された門田和雄さんが編著を行った「FABに何が可能か―『つくりながら生きる』21世紀の野生の思考」では、お二人に加え、多くの実践者、研究者が、FABに何ができるのか、について、地域、グローバル、循環、職業、経済、産業、教育、芸術という観点から考察を行っています。一つの答えを出そうとしているわけではなく、FABとは何か、ファブラボはどんな機能を果たすのかについても本書内で議論がされているのが、面白いところだと思います。

 

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http://filmart.co.jp/books/design/2013-7-26fr/?fbclid=IwAR2Ud_4SSkxtzdunCJxWTacbPsX7NxH2jszhta2dD6tcZo2yHxbROPI2tRk

 

まず、FABには以下の3つのポイントがあります。

 

1つ目は、例えればテーブルの上に小さな工場が出現し、個人が企業や工場に頼ることなく、ものづくりの試行錯誤ができるということ

 

2つ目は、データをインプットし、実体をアウトプットできる仕組みがあることで、同じものが何度もつくれることはもちろん、データを他の人と共有することで、実体のコピーや、少し改変したコピーが可能になること

 

3つ目は、インターネットの普及により、物理的に距離のある場所へも簡単にデータが共有できること。つまり、インターネット+FABで、ある意味実体の転送が可能になるということ です。

 

特に3つ目については、田中先生が本書の中で「コンピュータがつながれ脳がつながる“ウェブの社会”の進化系として、道具がつながり手がつながる“ファブの社会”が到来している(p104)」と書かれていて、面白いと思いました。この20年ほどで急速に発達したインターネットにより、世界中のどこにいても同じ情報が手に入れられるようになりました。次にFABが普及し、世界中のどこにでも実体を転送できるようになるということは、インターネットを使ってコンピュータからモノが飛び出してくるようなものですよね!それは単に輸送コストの削減だけでなく、ものをデータとして共有する面白さが含まれています。

 

世界中の色々な生活環境、文化、素材、人と、インターネットからやってきたそのようなモノはどうかかわっていくかについて考えることは、グローバルになったように見える世界を、もう一度ローカルから問い直すことを可能にするのではないか、と本書を読んで感じました。

 

また、FABやファブラボは機械のことだけを指しているのでなく、そこに関わる人や、人々の関係性までも指しているということが、本書を読んでよくわかりました。そこには機械を使ってつくる人はもちろん、その機械自体を作る人、制作過程をデザインする人、コミュニティを作る人など、様々な立場の人が含まれているという話もとても面白かったです。

 

FAB関連の機械が高性能に、安価になってきている今だからこそ、ただ機械を置いて終わり!ではなく、その意味や目的、可能性についてあらためて考えてみることが大切なのではないでしょうか。