知覚を再定義するアート!

前々回のブログで、サイエンスからジャンプする時のアートの役割について触れました。今回はその中でも、視点の発見、知覚の再定義という部分にフォーカスして書いてみたいと思います。

 

「日本人の目」を手に入れたゴッホ

2017年8月~2018年3月、北海道、東京、京都で行われていた「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」という展覧会、御ご覧になりましたか?私は最後の開催地である京都で、ぎりぎり、見ることができました(見られて本当にラッキーだったと思います)。

 

この展覧会のみどころは、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853 - 1890)が日本の浮世絵の色、描き方や構図に感銘を受け、自身の作風に取り入れていった様子が、浮世絵と対比しながら鑑賞できたところでした。浮世絵の、地平線の位置が高いとか、木が画面を分断するように中心に描かれているとか、輪郭がしっかり描かれている、雨が線として描かれている、などという技法は、ゴッホを含め、当時のヨーロッパの印象派の画家たちに衝撃を与えました。

ゴッホが晩年にアルルで描いた「The Shower」高い地平線の位置や木を真ん中に持ってくる構図が、浮世絵の影響を強く受けていると言われています。

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The Sower Vincent van Gogh (1853 - 1890), Arles, November 1888 Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

 

 

印象派と呼ばれる画家たちが追求していたのは、ものの新しい見方、表現の仕方でした(印象派以降、といったほうがいいかな)。彼らが活躍した19世紀後半は、すでに写真機(カメラ)が普及しはじめていましたから、画家たちは、写真を超える表現を追い求めました。写真には写りきらないその場の空気や風の流れ、光の繊細なきらめきなどがどうしたら表現できるか、研究と実践を重ねたと言われています。ゴッホが弟のテオにあてた手紙に「私は日本人の目を手に入れた」と書いているように、日本の浮世絵が彼らに提供したのはさらなる「新しいものの見え方」だったのです。

 

印象派って、描かれた当時は新しい、時に新しすぎる表現で、その絵が評価されるまで時間がかかった画家も多かったといいます。ゴッホのように、生きている間はほとんど絵が売れなくても描き続けるエネルギーの源泉は、新しい視点を得て、それを形にする喜びにあったのかもしれません。

 

アートは、終わりのない探究の旅

2018年4月~6月にすみだ北斎美術館で行われた「変幻自在!北斎のウォーターワールド」では、北斎が、波や滝の描き方を何年にもわたって追求した様子を知ることができました。ゴッホが憧れた浮世絵画家たちもまた、ものの見え方を探究していたのでしょう。

 

そして!ゴッホの描いた絵を見た私達は、ゴッホの目を手に入れることができているのではないでしょうか。

 

世界の見方、感じ方の再定義は、アートが果たす重要な役割の一つです。それは見るものにとって、同じ場所にいながらも新しい世界を体験させてくれるものですし、描くものにとっては、終わりのない探究の旅です(アートって、正解が無いとよく言われますが、それは、答えが一つではないという意味で、答えを求めないわけではない。むしろ、探究者にとって納得できる答えを探しつづける、終わりのない旅なんだと思います)。時に超個人的で、時に爆発的に影響を与えるアートって、怖くもありますが、とても魅力的なものでもありますね。

 

#STEAM #アート教育

ビジネスにもアート!

アートは、サイエンスからのジャンプだ。ということを、前回書きました。分野や職業に関わらず、すべての人がアートの力、すなわちサイエンスからジャンプする力を身につけることで、世の中はもっともっと面白くなるのではないでしょうか。

 

例えば、ビジネスにおいてアートの力が発揮されるとは、どういうことでしょうか。

 

物語仕立ての企画書が、経営陣を動かした

1999年にスープ専門店「Soup Stock Tokyo」を立ち上げた遠山正道さん(現株式会社スマイルズ代表取締役社長)は、当時日本に無かったスープ+パン、スープ+ごはんという、スープをメインとした食事を提供するお店を作りたいと思い、当時勤務していた企業の新規事業として上層部に提案します。その際に事業計画書とともに提出されたのが「1998年スープのある一日」という22ページにわたる物語仕立ての企画書です。

 

「1998年 スープのある一日」は、1997年の12月に書かれています。1998年という、近い未来の設定で、Soup Stock Tokyoの店舗がある世界で、誰がどんな風にお店に来て、スープを飲み(食べ)、何を感じているかが、具体的に描かれています。物語の前半はユーザー目線、後半では、どんな場所にどんなお店がつくられ、どのように事業が展開していくかについて、事業者目線で描かれています。これが決め手となり、事業が実現します。

 

Soup Stock Tokyoは、遠山さんがファーストフード業界を経験し、調べるうちに「どうしてこうなっちゃうの?」と感じるようになり、そんなときある日突然、女性がスープをすすっているイメ―ジが降りてきたことが始まりだそうです。それをきっかけに具体的に描かれた「スープのある一日」を読むと、現在のSoup Stock Tokyoで実施していることがたくさんあることに驚かされます(遠山さんのご著書「スープで、いきます―商社マンが、Soup Stock Tokyoを作る」で全文が公開されているので、ぜひ読んでみてください)。

 

新しいビジネスには、新しい絵が必要

Soup Stock Tokyoが実現するまでには、2つのアートの力が発揮されています。一つは、現状(この場合はファーストフード業界)認識とその分析というサイエンスからの、思考のジャンプ。もう一つは、まだ世の中には無い新しい景色を一緒に見てもらうための表現力です。世の中にまだない、新しい事業を進める際には思いもよらない事がたくさん起こるでしょう。実際、Soup Stock Tokyoを立ち上げ、店舗を増やしていく過程には、たくさんの困難があり、飲食業界の方達から、経験に基づいた(!)多くの指摘もあったそうです。でもやっぱり、新しいことを実現するには、降りてきたイメージを大切にし、新しい絵(例えば実現したときのイメージ)を描く必要があるんじゃないかな!と思うのですが、いかがでしょうか。そして、それがあったからこそ、困難を乗り越え、今のSoup Stock Tokyoがあるのではないでしょうか。かなりの頻度でSoup Stock Tokyoを利用する私も、遠山さんが描いた絵(物語)の中に入っているのなら、うれしいなと思います。

 

今回ご紹介したSoup Stock Tokyoのストーリーは、ビジネスにおいてアートの力が発揮されるシーンの1つだと思います。これはどの業界でも見られそうです。もしイメージが降ってきてもそれが実現しない状況があるとしたら、イメージを得た本人がそこに向かわないか、「経験値が高い」周囲のアドバイスがそれをねじまげてしまうか、そんなことが、起こっているのかもしれません。

以前お話しさせていただいたことがありますが、 遠山さんは、面白いこと、感動することに、真っ直ぐな方だと感じました。そんなお人柄も、アートの力と関係していると思います。

 

参照:

「スープで、いきます―商社マンがSoup Stock Tokyoを作る」 新潮社

 https://amzn.to/30K3prX

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#STEAM #アート教育

2020年。アートは、ジャンプだ!

あけましておめでとうございます。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

このブログは、教育にアートが足りていないという思いから2016年にスタートし、4年間で113の記事を書いてきました。本やアートに関する面白い人や活動を紹介する中でたくさんの発見がありました。

 

で、色々な役割があるアートって、一言であらわすと何か?

私は「ジャンプ」だと思っています。

 

サイエンスとアートは、協働する。

この言葉は、昨年11月に行われたEdvation x Summit 2019 でのパネルディスカッションにおいて、LOVOTの開発者である林要さんの発言にあり、これだっ!とものすごく腑に落ちました。林さんによると、サイエンスは答え”をしっかりと積み重ねている領域なので、一つひとつ証明されているものしか使えない。だから、スピードは遅いが、そこに“アート”が入ると、「ジャンプ」が起きて、証明がなされていないが真実かもしれないものをかなり早い段階で取り込めるそうなんです。

 

キュレーターの長谷川祐子さんの著書「『なぜ?』から始める現代アート」にも、同様の表現があります。第三章「アートが科学を超えるとき」では、人間の知覚について、まだ科学で証明をされていない部分(例えば光の色の違いを皮膚から感じとれるか)を、アート作品として問いかけ、鑑賞者に感じてもらうアーティストが紹介されています。解が一つでなければならない科学に対し、アートは鑑賞者がそれぞれの解を持つことができる、という違いがあるからこそ、アートでしか表現できないことがある、というのは、非常に興味深いですし、これも、ジャンプというべきものでしょう。

 

このお2人の発言からは、サイエンスでカバーできない領域をアートが補うことの価値を感じます。サイエンスとアートは、相対するものではなく、協働するものなんじゃないかな。

 

自然科学にとどまらず人文科学、社会科学、それにまつわる事実や数値に裏付けられたものたち(サイエンス)をつなげ、その先に新たな到達点をつくり、そこに向けて、自ら線を描く行為をアートというのではないでしょうか。それは論理の飛躍とか、勘(かん)と揶揄されることもあるかもしれないけど、そこにサイエンスを組み合わせていくことで、進む研究やイノベーションもあるはずです。

 

 

「どこでもドア」というアートを、サイエンスで実現する。

例えばドラえもんに出てくる「どこでもドア」。描かれた当初、科学的根拠は薄かったと思います。でも、扉をあけたら世界中のどこにでも行けるという機能は、大人も子どもも、多くの人を魅了し、漫画というアートの中で、夢を膨らませることができました。そして今、インターネットの発達により、Web上でのオンラインミーティングや、遠隔操作ロボットが登場し、どこでもドアにかなり近い形が実現しています。それは、もしかすると「どこでもドア」というアート作品が起点となってるのかもしれませんよ。

 

歴史小説や、実際に起こった出来事をベースとした小説にも、アートの力を感じます。新聞記事や研究書であれば、わかっていること以外は記せないのですが、小説は、事実をつなぎ、記録が無い部分を創作で補うことで、ストーリーを成立させていきます。印象派の画家たちを多く描いている作家の原田マハさんは、画家たちの足跡をたどりながらストーリーを膨らませ、19世紀を生きた画家たちを、とても身近なものに感じさせてくれます。

 

論拠は薄い。その世界に飛び出し、何か形にして見せるというのは、勇気がいることです。でも勇気をもってジャンプできたら、ますます世の中面白くなると私は思っています。

この勇気がどうやったら出てくるのかについては、次回、書いてみようと思います。

 

参照:

林要さんのパネルディスカッション

https://lovetech-media.com/eventreport/20191107edvation1/?fbclid=IwAR27bjrvEAlNf0h44VtPAV4QYuXIrhT8gjkMkhkqZH72DpDDwSgDi84Bym4

 

「なぜ?」から始める現代アート(NHK出版新書)

https://amzn.to/39WNTgk

 

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LAVOT。人の動きに反応し、抱き上げると体温も感じられる。

清水葉子

 

#STEAM   #アート教育

北欧の図書館から、これからの学びの場を考える

みなさまこんにちは。清水葉子です。突然ですが、みなさんは公共図書館をどのくらい利用されますか?そして、その利用目的は何ですか?

私は、公共図書館の徒歩圏に住んでいることもあり、年間5回か6回、つまり2か月に1回くらいは利用しています。その目的は9割がた、インターネットで本を予約して、その予約本を受け取りに行くというものです。(横浜市の図書館は、そこになければ市内の他の図書館から取り寄せてくれます)。小学生の娘と年に1回くらい行きますが、彼女は学校図書館で満足しているので、あまり利用していません。1回の滞在時間は手続きだけなので、5分くらいでしょうか。

 

前置きが長くなりましたが、最近「フィンランド公共図書館 躍進の秘密」という本を読みました。私が知っている図書館の活用方法と色々異なる点があり、面白かったので、紹介させていただきます。

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 http://www.shinhyoron.co.jp/978-4-7948-1139-4.html

 

 

まず、驚いたのは、図書館の利用率です。フィンランドの人口は、約551万人(外務省より2018年12月末時点)なのですが、図書館の利用率はのべ5000万人!!!(本書より、2018年のデータ)国民1人あたり年間10回の利用です。また、貸出数は8500万点で、1人当たり年間15冊超え(本書より、2018年のデータ)とのことでした。ちなみに、調べてみたのですが、横浜市の人口は、約375万人(自治体HPより2019年のデータ)なので、ざっくりフィンランド全体の7割。横浜市の2018年度ののべ入館者数は、約743万人で、1人あたり2回の利用、貸出数は約893万冊で、一人あたり、2冊強でした(図書のデータは、「横浜市の図書館 2019」より2018年度のもの)。

 

私は、横浜市民としては図書館を利用しているほうで、フィンランドの人と比較すると、利用していないようですね。

 

この理由として、いくつか日本と違う状況があったので、本書より、箇条書きで引用させていただきます。

 

学校図書館を、公共図書館で代替している場合もある

・図書館が、生涯学習の機会提供の場として機能している

スマートフォン、PC等の利用サポートがある

・移民のためのサポートがある

・一部の図書館には、メイカースペースや、音楽スタジオもある

・コンピュータゲームができる図書館も多い

・工具など、家庭で使用頻度が低いものは、図書館で借りれば良いという考え方がある

・貸出手続きなどはセルフで、司書は利用者の相談対応に時間をかける

 

これを機会に、同じく著者の吉田右子さんが書かれている

「読書を支えるスウェーデン公共図書館

http://www.shinhyoron.co.jp/978-4-7948-0912-4.html

デンマークのにぎやかな公共図書館

http://www.shinhyoron.co.jp/978-4-7948-0849-3.html

「文化を育むノルウェーの図書館」

http://www.shinhyoron.co.jp/978-4-7948-0941-4.html

 

を読んでみたのですが、違う部分もありながらも、生涯学習の拠点であること、図書という枠にとどまらず、文化、情報全般のサポートをしていること、結果として移民、子ども、お年寄りも含む、全ての人たちが、とりあえず図書館に行って相談してみよう、という流れができていること、図書館自体が、文化的な拠点となるため、利用率の向上を目指していることがよくわかりました。

 

これらの国は、フィンランドノルウェーデンマークの人口が500万人台(ざっくり、横浜市川崎市の合計人口くらい)、スウェーデンの人口が1,000万人ちょっと(東京都の人口よりちょっと少ないくらい)なので、経済規模が違い、メディアやスタジオレンタルなど、ビジネスとして成立しにくいところを行政でカバーしているのかもしれませんし、行政サービスを分けずに、図書館に集約するという流れがあるのかもしれません。でも、細分化しすぎず、図書館が文化というフィルターで包括することで、とりあえず相談できる場所となり、大人になっても学び、仕事の拠点となることが、できるのかもしれないと感じました。紙の書籍から電子書籍に移行し、図書館の利用方法も変わっていきそうですが、図書館が無くなるのではなく、司書の方達のあり方や、場の作られ方が変わりながら、図書館が必要な場として残る可能性も大いにあるんだなあと感じましたし、そういう機能として求められる図書館であれば、私は運営に関わってみたいと思いました。

 

生涯学習も含めた、これからの学びの場について考えたい方には、ご一読をお勧めします。「フィンランド公共図書館」には、昨年開館したオーディ図書館についても詳しく紹介されていますよ。

 

北欧の図書館についてとてもわかりやすくまとめて紹介してくださった、著者の吉田右子さんに感謝いたします。

 

#学びの場 #フィンランド公共図書館  #オーディ図書館

「ものづくりの壁」を超えると見えてくるもの―道用大介先生インタビューその2

みなさまこんにちは。清水葉子です。今回は、神奈川大学の道用大介先生に伺ったお話の続編をご紹介します。

その1はこちらをご覧ください。

http://arts.hatenablog.jp/entry/2019/11/30/223536

 

さて、前回も学生さん達の作品を紹介しましたが、加えていくつか紹介させていただきます。これらは、2019年8月30日~9月4日、江の島にある Gallery-Tで行われたFAB作品の展示会「デジタルファブリケーションが切り拓く、新しいモノ作りのカタチ」で見せていただいたものです。

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会場の様子

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楽器のマス・カスタマイゼーションを目指してミリングマシンで木を直接切り出して作った楽器(ベース)

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「魚」の文字がつながった状態で3Dプリントされた「の れん」のパーツ

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「魚」の文字がつながった状態で3Dプリントされた「の れん」

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レーザーカッターで切ったパーツを組み合わせることでつくられた服

私は、FABの機器でつくれるのは試作、という認識が強かったのですが、そのまま実際に使えるものができるんですね!今回展示会を見せていただき、その発想力と完成度の高さには本当に驚かされました。

 

「理系の、とくにものづくりに普段から関わっている学生にとっては、FABは一つの道具というか、まあそうなるよね、というような感じで、そんなに驚きや感動はないんです。でも、文系の学生達は違いますね。FABを使うと、時代の最先端のものづくりに関われる、という認識もあるのでしょう。明らかにモチベーションが上がります。今の文系の学生達は、なんでもコンピューターの中で調べ、つくり、完結してしまう傾向にあります。インターネットで情報を集め、プランをつくり提案、それで考えた気になってしまうのですが、実用化できないアイディアも多いです。FABの機材を使って実作してみてはじめて、彼らは手を動かしながら考えるということができるようになります。なんでもWebで済ますのではなく、リアルなものづくりにつなげることで、日常生活や他の分野での思考の際にも、物事を疑ったり、根本から考えたりすることができるようになります。アイディアの発想ももちろん大切ですが、それを実際のプロセスに落とし、仕上げていくことも大切で、そこに手を動かしたことがある、考えてものづくりをしたことがあるという経験は、この先の様々なシーンで生きてくると思います(道用先生)」。

 

手を動かしながら考える、作りながら考える、というのは、それをやったことが無い人にとってみると、技術的にも、心理的にもハードルが高いものです。でも、ここを乗り越えて作りながら考えられるようになると、どのような分野でもその力を発揮することができるのです。

 

道用先生によると、アイディアを形にするメリットは、もう一つあるそうです。

「課題に取り組むプロセスの中で、問題発見の段階で出てくるアイディアは、他の人とそれほど違いがなく、同じようなアイディアなんですね。でもそれをアウトプットとして形にしていくと、どんどん違いが出てくる。個人のアイディアの輪郭があきらかになってくる。アイディアで終わるとみんな同じなのに、形にすると違いが出てくるところが、ものづくりの面白いところです(道用先生)」

 

道用先生の商品企画にFABを取り入れる授業は、2014年から行われていて、今年でもう6年目になるそうです。当初は3Dプリンタやレーザーカッターで何かをプリントするだけだったのが、機構や複雑な仕組みをつくるようになるなど、年々学生達のものづくりのレベルが上がってきているそうです。ファブラボを起点とし、学生さんたちにものづくりの文化が浸透してきているのということですね!

 

いかがでしたか?学生さん達が使われているファブラボ平塚は、一般の方の利用も可能なので、お近くの方、訪問されてみてはいかがでしょうか。

 

道用先生、お忙しいところお話を聞かせていただき、ありがとうございました!

「ものづくりの壁」を超えると見えてくるもの―道用大介先生インタビューその1

みなさまこんにちは。清水葉子です。ここ数日で急に気温が下がり、冬がやってきましたね。風邪をひかれないよう、あたたかくしてお過ごしくださいね。

 

さて本日は、ものづくりについて書きたいと思います。こちらのブログでも何度か紹介させていただいたFAB(デジタルファブリケーション)が、教育現場にも取り入れられるようになってきています。もともとFABは、個人や、ものづくりについて専門的な技術を持たない人も、自分で作れるようにすることを目的としていますから、はじめから教育現場には入れやすい形になっているといえるでしょう。もちろん導入にあたってはある程度の技術的な指導が必要ですが、それ以上に必要となるのは、FABを教育現場に入れることで起きる現象や、期待される効果を想定しておくことです。教育デザイン系、理系の教育分野だと、カリキュラムの方向性に沿った形で導入できると思いますが、文系の学部学科や、まだ専門分化していない中学校、高等学校に導入する場合は、その位置づけ、意味づけが必要になってきます。でも私は、そういった分野でこそ、FABが効果を発揮すると感じています。その感覚をどうやって言語化したらいいのか、試行錯誤をしている時に、道用大介先生の講演をうかがう機会があり、ものすごくわかりやすく、感動したので、神奈川大学平塚キャンパスのファブラボ平塚にうかがい、お話を伺いました。その内容を、紹介させていただきますね。

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道用大介先生。ファブラボ平塚にて。


文系学科にFABを取り入れる意味とは

道用大介(どうようだいすけ)先生は、神奈川大学 経営学部 国際経営学科の准教授として、経営工学、ソーシャルファブリケーションの研究をされています。また、2016年、キャンパス内に「ファブラボ平塚」を開設され、国際経営学科の学生に、デジタルファブリケーションの指導をされています。国際経営学科は、文理でいうと、文系の学科になります。その授業にFABを取り入れられるというのは、とても珍しいと言えるでしょう。国際経営学科の2年前期では、商品企画設計論という、約200名が受講する講座があり、この授業で学生さん達は、個人でマーケティング、商品企画をした商品を、3DCADを使って設計します。また、2年前期の選択制の演習の授業では、ファブラボの機材を使い、3DCADのデータを3Dプリンタで出力したり、レーザーカッターで切り出して組み立てるところまで行います。後期の演習では、少人数でじっくりものづくりを行います。

 

キーワードは「イノベーション」と「社会実装」

なぜ、文系の学科の授業でにFABを取り入れられているのか?そこには「イノベーション」と「社会実装」が重要キーワードとして出てきます。道用先生が、学生の学びの中で特に大切にされているのが、「社会実装」です。

 

経済産業省特許庁の『産業競争力とデザインを考える研究会』が2018年に発表した『デザイン経営宣言』では、日本は研究・開発の力はあるが、それを実用化し、その結果として社会を変える社会実装をする力が弱いと述べられています。「イノベーション」という言葉は、これまで日本語に翻訳されてきた「技術革新」だけでなく、技術を社会実装するという意味も含まれています。真の意味でのイノベーションを起こすためには、ビジネス、テクノロジー、デザインの3つを、領域を超えて融合させる必要があるのです。研究会からの問題提起に、教育現場として応えるためには、アイディア発想力だけでなく、その先の壁を越えて、実装までもっていく力や生産能力が必要で、そのためには、デジタルファブリケーション=FABの技術を、教育現場に取り入れることが有効だと私は考えています(道用先生)」

 

真のイノベーションを起こすためには、文理関係なく、アイディアを形にできる社会実装力が求められるということなんですね。大学には学部や学科という枠組みがあるので、どうしても学生たちは、自分の将来に直接役立ちそうな学びを選択する傾向があるそうです。道用先生は、その信念のもと、文系の学生達に、彼らの将来にもFABは役立つ、ということを伝えながら、授業を行われているそうです。

 

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学生が越えるべき「ものづくりの壁」

では実際にFABを授業に導入し、学生さんたちにはどのような変化が起こったのでしょうか。FABが商品企画の授業に導入されるまでは、アイディアを出し、その企画を文書化する、というところが授業のゴールだったそうですが、そのアイディアが実際に機能するかどうかの検証が行われることは少なかったそうです。しかし、FABを導入してからは、それまでアイディアどまり(空想的態度)になってしまい、越えられなかった「ものづくりの壁」を、FABの力を借りて越えることができるようになったそうです。

 

一度その壁を超えてしまうと、学生さん達の成長は素晴らしく、そのスピードや技術は、理系の学生さんと全く変わらないそうです。そして新しい課題にも躊躇なく取り組めるようになったそうです。

 

授業での実例紹介

授業でどんなものがつくられているのか、実例を教えていただきました。

まずこちらは、視覚障がいを持つ方向けの、持ち手のデザインを変えられる杖です。この課題では、学生さんたちは視覚障がいを持つ方に直接ヒアリングをし、そこで、視覚障がいを持つ方も周りからどう見られるかに気を使っていることに気づいたといいます。そこで、自分で着せ替えのように持ち手のデザインをカスタマイズできる杖を発案し、実際に試してもらいながら作り上げたということです。

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杖の持ち手の部分が付け替え可能になっている

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杖の持ち手部分拡大

また、こちらは「好きなジュースを飲める装置」です。なんとモデリングから実装まで、1週間で作り上げたそうです。

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好きなジュースを飲める装置。ジュースが混じらないよう、ストローが振動するしかけもある

(つづきます)

アートとサイエンスが影響しあって未来ができる(未来と芸術展より感じたこと)

みなさまこんにちは。清水葉子です。

2019年11月19日より、森美術館で開催されている、

「未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命――人は明日どう生きるのか」
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/index.html

に行ってきました。

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この展覧会では、都市、建築、ロボット、衣、食、生活、医療など様々な分野で、新しい技術の可能性について模索するアート作品が多数展示されていて、とても見ごたえのあるものでした。

私は大学で建築を学んでいたので、特に前半の都市の部分を面白く見ていたのですが、小単位のユニットを組み合わせて街や建物をつくる時に3Dプリンタが使われたり、自動運転の技術が取り入れられたりしているのが面白いと思いました。

 

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こういった未来都市のアイディア自体は、実は1960年代に、かなり近い形で描かれているのです。日本の当時の若手建築家達によるグループ「メタボリズム」は、1960年代にすでに、新陳代謝可能な建物や都市を描いていましたし、同じ時代にイギリスで活動していた建築家グループ「アーキグラム」も、空間ユニットを組み合わせた街や、ネットワーク化された「コンピュータ・シティ」を発表していました。まだコンピュータもあまり普及していない時代にそういう世界を描けること自体がすごいなあと思うのですが、半世紀経って、それに技術が追いついたんだと思うと、本当に感慨深いです。

建築だけでなく、他の分野もそうで、手塚治虫さんが描いた世界が今現実になろうとしていたり、SFの世界で描かれていたような遠距離でのモノの移動が技術により可能になりつつあったりと、人が過去に描いた世界が、技術により実現される日も近いんだなあ、と感じました。

(下の写真はお寿司をデータにして送ることで、遠隔地でお寿司の形と味を再現できる3Dプリンタです)

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さて、これらを見て私が感じたのは、やっぱりアートってすごいパワーを持っているし、アートとサイエンスの相乗効果ってすごいな、ということです。先日読んだ本「「なぜ?」から始める現代アート」にもあったのですが、サイエンスは、何か新しい物や説を世に出す時に「1万回同じ実験をして、1万回同じ結果」であることが求められるそうです。それに対してアートは、それを見る人に問いを投げかけたり、提案をすることができる。誤解をおそれずに言えば、それを受け取った人がどう感じるかに、数学的根拠はいらないのです。その分、アートは早く実験ができるし「できるかどうかはともかく、こういうのがあったら面白いんじゃない?」というある種の妄想もふくんだ提案ができるわけです。

今日の展示を見て、先人たちの自由なアート表現があったからこそ、サイエンスが追いついてきたのではないかなあ、と感じました。

同時にまたその技術を起点に新しいアート表現が出てきて、今叶えられない部分はまた新しい技術が追いついて、というように、アートとサイエンスは影響しあっていくのではないのでしょうか。

展覧会は3月29日までです。展示量が多いので、じっくり見たい方は、余裕を持って行かれるのがお勧めです。

 

森美術館 #未来と芸術展 #アートとサイエンス