2020年。アートは、ジャンプだ!
あけましておめでとうございます。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
このブログは、教育にアートが足りていないという思いから2016年にスタートし、4年間で113の記事を書いてきました。本やアートに関する面白い人や活動を紹介する中でたくさんの発見がありました。
で、色々な役割があるアートって、一言であらわすと何か?
私は「ジャンプ」だと思っています。
サイエンスとアートは、協働する。
この言葉は、昨年11月に行われたEdvation x Summit 2019 でのパネルディスカッションにおいて、LOVOTの開発者である林要さんの発言にあり、これだっ!とものすごく腑に落ちました。林さんによると、サイエンスは答え”をしっかりと積み重ねている領域なので、一つひとつ証明されているものしか使えない。だから、スピードは遅いが、そこに“アート”が入ると、「ジャンプ」が起きて、証明がなされていないが真実かもしれないものをかなり早い段階で取り込めるそうなんです。
キュレーターの長谷川祐子さんの著書「『なぜ?』から始める現代アート」にも、同様の表現があります。第三章「アートが科学を超えるとき」では、人間の知覚について、まだ科学で証明をされていない部分(例えば光の色の違いを皮膚から感じとれるか)を、アート作品として問いかけ、鑑賞者に感じてもらうアーティストが紹介されています。解が一つでなければならない科学に対し、アートは鑑賞者がそれぞれの解を持つことができる、という違いがあるからこそ、アートでしか表現できないことがある、というのは、非常に興味深いですし、これも、ジャンプというべきものでしょう。
このお2人の発言からは、サイエンスでカバーできない領域をアートが補うことの価値を感じます。サイエンスとアートは、相対するものではなく、協働するものなんじゃないかな。
自然科学にとどまらず人文科学、社会科学、それにまつわる事実や数値に裏付けられたものたち(サイエンス)をつなげ、その先に新たな到達点をつくり、そこに向けて、自ら線を描く行為をアートというのではないでしょうか。それは論理の飛躍とか、勘(かん)と揶揄されることもあるかもしれないけど、そこにサイエンスを組み合わせていくことで、進む研究やイノベーションもあるはずです。
「どこでもドア」というアートを、サイエンスで実現する。
例えばドラえもんに出てくる「どこでもドア」。描かれた当初、科学的根拠は薄かったと思います。でも、扉をあけたら世界中のどこにでも行けるという機能は、大人も子どもも、多くの人を魅了し、漫画というアートの中で、夢を膨らませることができました。そして今、インターネットの発達により、Web上でのオンラインミーティングや、遠隔操作ロボットが登場し、どこでもドアにかなり近い形が実現しています。それは、もしかすると「どこでもドア」というアート作品が起点となってるのかもしれませんよ。
歴史小説や、実際に起こった出来事をベースとした小説にも、アートの力を感じます。新聞記事や研究書であれば、わかっていること以外は記せないのですが、小説は、事実をつなぎ、記録が無い部分を創作で補うことで、ストーリーを成立させていきます。印象派の画家たちを多く描いている作家の原田マハさんは、画家たちの足跡をたどりながらストーリーを膨らませ、19世紀を生きた画家たちを、とても身近なものに感じさせてくれます。
論拠は薄い。その世界に飛び出し、何か形にして見せるというのは、勇気がいることです。でも勇気をもってジャンプできたら、ますます世の中面白くなると私は思っています。
この勇気がどうやったら出てくるのかについては、次回、書いてみようと思います。
参照:
林要さんのパネルディスカッション
「なぜ?」から始める現代アート(NHK出版新書)
清水葉子
#STEAM #アート教育
北欧の図書館から、これからの学びの場を考える
みなさまこんにちは。清水葉子です。突然ですが、みなさんは公共図書館をどのくらい利用されますか?そして、その利用目的は何ですか?
私は、公共図書館の徒歩圏に住んでいることもあり、年間5回か6回、つまり2か月に1回くらいは利用しています。その目的は9割がた、インターネットで本を予約して、その予約本を受け取りに行くというものです。(横浜市の図書館は、そこになければ市内の他の図書館から取り寄せてくれます)。小学生の娘と年に1回くらい行きますが、彼女は学校図書館で満足しているので、あまり利用していません。1回の滞在時間は手続きだけなので、5分くらいでしょうか。
前置きが長くなりましたが、最近「フィンランド公共図書館 躍進の秘密」という本を読みました。私が知っている図書館の活用方法と色々異なる点があり、面白かったので、紹介させていただきます。
http://www.shinhyoron.co.jp/978-4-7948-1139-4.html
まず、驚いたのは、図書館の利用率です。フィンランドの人口は、約551万人(外務省より2018年12月末時点)なのですが、図書館の利用率はのべ5000万人!!!(本書より、2018年のデータ)国民1人あたり年間10回の利用です。また、貸出数は8500万点で、1人当たり年間15冊超え(本書より、2018年のデータ)とのことでした。ちなみに、調べてみたのですが、横浜市の人口は、約375万人(自治体HPより2019年のデータ)なので、ざっくりフィンランド全体の7割。横浜市の2018年度ののべ入館者数は、約743万人で、1人あたり2回の利用、貸出数は約893万冊で、一人あたり、2冊強でした(図書のデータは、「横浜市の図書館 2019」より2018年度のもの)。
私は、横浜市民としては図書館を利用しているほうで、フィンランドの人と比較すると、利用していないようですね。
この理由として、いくつか日本と違う状況があったので、本書より、箇条書きで引用させていただきます。
・図書館が、生涯学習の機会提供の場として機能している
・スマートフォン、PC等の利用サポートがある
・移民のためのサポートがある
・一部の図書館には、メイカースペースや、音楽スタジオもある
・コンピュータゲームができる図書館も多い
・工具など、家庭で使用頻度が低いものは、図書館で借りれば良いという考え方がある
・貸出手続きなどはセルフで、司書は利用者の相談対応に時間をかける
これを機会に、同じく著者の吉田右子さんが書かれている
http://www.shinhyoron.co.jp/978-4-7948-0912-4.html
http://www.shinhyoron.co.jp/978-4-7948-0849-3.html
「文化を育むノルウェーの図書館」
http://www.shinhyoron.co.jp/978-4-7948-0941-4.html
を読んでみたのですが、違う部分もありながらも、生涯学習の拠点であること、図書という枠にとどまらず、文化、情報全般のサポートをしていること、結果として移民、子ども、お年寄りも含む、全ての人たちが、とりあえず図書館に行って相談してみよう、という流れができていること、図書館自体が、文化的な拠点となるため、利用率の向上を目指していることがよくわかりました。
これらの国は、フィンランド、ノルウェー、デンマークの人口が500万人台(ざっくり、横浜市と川崎市の合計人口くらい)、スウェーデンの人口が1,000万人ちょっと(東京都の人口よりちょっと少ないくらい)なので、経済規模が違い、メディアやスタジオレンタルなど、ビジネスとして成立しにくいところを行政でカバーしているのかもしれませんし、行政サービスを分けずに、図書館に集約するという流れがあるのかもしれません。でも、細分化しすぎず、図書館が文化というフィルターで包括することで、とりあえず相談できる場所となり、大人になっても学び、仕事の拠点となることが、できるのかもしれないと感じました。紙の書籍から電子書籍に移行し、図書館の利用方法も変わっていきそうですが、図書館が無くなるのではなく、司書の方達のあり方や、場の作られ方が変わりながら、図書館が必要な場として残る可能性も大いにあるんだなあと感じましたし、そういう機能として求められる図書館であれば、私は運営に関わってみたいと思いました。
生涯学習も含めた、これからの学びの場について考えたい方には、ご一読をお勧めします。「フィンランド公共図書館」には、昨年開館したオーディ図書館についても詳しく紹介されていますよ。
北欧の図書館についてとてもわかりやすくまとめて紹介してくださった、著者の吉田右子さんに感謝いたします。
「ものづくりの壁」を超えると見えてくるもの―道用大介先生インタビューその2
みなさまこんにちは。清水葉子です。今回は、神奈川大学の道用大介先生に伺ったお話の続編をご紹介します。
その1はこちらをご覧ください。
http://arts.hatenablog.jp/entry/2019/11/30/223536
さて、前回も学生さん達の作品を紹介しましたが、加えていくつか紹介させていただきます。これらは、2019年8月30日~9月4日、江の島にある Gallery-Tで行われたFAB作品の展示会「デジタルファブリケーションが切り拓く、新しいモノ作りのカタチ」で見せていただいたものです。
私は、FABの機器でつくれるのは試作、という認識が強かったのですが、そのまま実際に使えるものができるんですね!今回展示会を見せていただき、その発想力と完成度の高さには本当に驚かされました。
「理系の、とくにものづくりに普段から関わっている学生にとっては、FABは一つの道具というか、まあそうなるよね、というような感じで、そんなに驚きや感動はないんです。でも、文系の学生達は違いますね。FABを使うと、時代の最先端のものづくりに関われる、という認識もあるのでしょう。明らかにモチベーションが上がります。今の文系の学生達は、なんでもコンピューターの中で調べ、つくり、完結してしまう傾向にあります。インターネットで情報を集め、プランをつくり提案、それで考えた気になってしまうのですが、実用化できないアイディアも多いです。FABの機材を使って実作してみてはじめて、彼らは手を動かしながら考えるということができるようになります。なんでもWebで済ますのではなく、リアルなものづくりにつなげることで、日常生活や他の分野での思考の際にも、物事を疑ったり、根本から考えたりすることができるようになります。アイディアの発想ももちろん大切ですが、それを実際のプロセスに落とし、仕上げていくことも大切で、そこに手を動かしたことがある、考えてものづくりをしたことがあるという経験は、この先の様々なシーンで生きてくると思います(道用先生)」。
手を動かしながら考える、作りながら考える、というのは、それをやったことが無い人にとってみると、技術的にも、心理的にもハードルが高いものです。でも、ここを乗り越えて作りながら考えられるようになると、どのような分野でもその力を発揮することができるのです。
道用先生によると、アイディアを形にするメリットは、もう一つあるそうです。
「課題に取り組むプロセスの中で、問題発見の段階で出てくるアイディアは、他の人とそれほど違いがなく、同じようなアイディアなんですね。でもそれをアウトプットとして形にしていくと、どんどん違いが出てくる。個人のアイディアの輪郭があきらかになってくる。アイディアで終わるとみんな同じなのに、形にすると違いが出てくるところが、ものづくりの面白いところです(道用先生)」
道用先生の商品企画にFABを取り入れる授業は、2014年から行われていて、今年でもう6年目になるそうです。当初は3Dプリンタやレーザーカッターで何かをプリントするだけだったのが、機構や複雑な仕組みをつくるようになるなど、年々学生達のものづくりのレベルが上がってきているそうです。ファブラボを起点とし、学生さんたちにものづくりの文化が浸透してきているのということですね!
いかがでしたか?学生さん達が使われているファブラボ平塚は、一般の方の利用も可能なので、お近くの方、訪問されてみてはいかがでしょうか。
道用先生、お忙しいところお話を聞かせていただき、ありがとうございました!
「ものづくりの壁」を超えると見えてくるもの―道用大介先生インタビューその1
みなさまこんにちは。清水葉子です。ここ数日で急に気温が下がり、冬がやってきましたね。風邪をひかれないよう、あたたかくしてお過ごしくださいね。
さて本日は、ものづくりについて書きたいと思います。こちらのブログでも何度か紹介させていただいたFAB(デジタルファブリケーション)が、教育現場にも取り入れられるようになってきています。もともとFABは、個人や、ものづくりについて専門的な技術を持たない人も、自分で作れるようにすることを目的としていますから、はじめから教育現場には入れやすい形になっているといえるでしょう。もちろん導入にあたってはある程度の技術的な指導が必要ですが、それ以上に必要となるのは、FABを教育現場に入れることで起きる現象や、期待される効果を想定しておくことです。教育デザイン系、理系の教育分野だと、カリキュラムの方向性に沿った形で導入できると思いますが、文系の学部学科や、まだ専門分化していない中学校、高等学校に導入する場合は、その位置づけ、意味づけが必要になってきます。でも私は、そういった分野でこそ、FABが効果を発揮すると感じています。その感覚をどうやって言語化したらいいのか、試行錯誤をしている時に、道用大介先生の講演をうかがう機会があり、ものすごくわかりやすく、感動したので、神奈川大学平塚キャンパスのファブラボ平塚にうかがい、お話を伺いました。その内容を、紹介させていただきますね。
文系学科にFABを取り入れる意味とは
道用大介(どうようだいすけ)先生は、神奈川大学 経営学部 国際経営学科の准教授として、経営工学、ソーシャルファブリケーションの研究をされています。また、2016年、キャンパス内に「ファブラボ平塚」を開設され、国際経営学科の学生に、デジタルファブリケーションの指導をされています。国際経営学科は、文理でいうと、文系の学科になります。その授業にFABを取り入れられるというのは、とても珍しいと言えるでしょう。国際経営学科の2年前期では、商品企画設計論という、約200名が受講する講座があり、この授業で学生さん達は、個人でマーケティング、商品企画をした商品を、3DCADを使って設計します。また、2年前期の選択制の演習の授業では、ファブラボの機材を使い、3DCADのデータを3Dプリンタで出力したり、レーザーカッターで切り出して組み立てるところまで行います。後期の演習では、少人数でじっくりものづくりを行います。
キーワードは「イノベーション」と「社会実装」
なぜ、文系の学科の授業でにFABを取り入れられているのか?そこには「イノベーション」と「社会実装」が重要キーワードとして出てきます。道用先生が、学生の学びの中で特に大切にされているのが、「社会実装」です。
「経済産業省・特許庁の『産業競争力とデザインを考える研究会』が2018年に発表した『デザイン経営宣言』では、日本は研究・開発の力はあるが、それを実用化し、その結果として社会を変える社会実装をする力が弱いと述べられています。「イノベーション」という言葉は、これまで日本語に翻訳されてきた「技術革新」だけでなく、技術を社会実装するという意味も含まれています。真の意味でのイノベーションを起こすためには、ビジネス、テクノロジー、デザインの3つを、領域を超えて融合させる必要があるのです。研究会からの問題提起に、教育現場として応えるためには、アイディア発想力だけでなく、その先の壁を越えて、実装までもっていく力や生産能力が必要で、そのためには、デジタルファブリケーション=FABの技術を、教育現場に取り入れることが有効だと私は考えています(道用先生)」
真のイノベーションを起こすためには、文理関係なく、アイディアを形にできる社会実装力が求められるということなんですね。大学には学部や学科という枠組みがあるので、どうしても学生たちは、自分の将来に直接役立ちそうな学びを選択する傾向があるそうです。道用先生は、その信念のもと、文系の学生達に、彼らの将来にもFABは役立つ、ということを伝えながら、授業を行われているそうです。
では実際にFABを授業に導入し、学生さんたちにはどのような変化が起こったのでしょうか。FABが商品企画の授業に導入されるまでは、アイディアを出し、その企画を文書化する、というところが授業のゴールだったそうですが、そのアイディアが実際に機能するかどうかの検証が行われることは少なかったそうです。しかし、FABを導入してからは、それまでアイディアどまり(空想的態度)になってしまい、越えられなかった「ものづくりの壁」を、FABの力を借りて越えることができるようになったそうです。
一度その壁を超えてしまうと、学生さん達の成長は素晴らしく、そのスピードや技術は、理系の学生さんと全く変わらないそうです。そして新しい課題にも躊躇なく取り組めるようになったそうです。
授業での実例紹介
授業でどんなものがつくられているのか、実例を教えていただきました。
まずこちらは、視覚障がいを持つ方向けの、持ち手のデザインを変えられる杖です。この課題では、学生さんたちは視覚障がいを持つ方に直接ヒアリングをし、そこで、視覚障がいを持つ方も周りからどう見られるかに気を使っていることに気づいたといいます。そこで、自分で着せ替えのように持ち手のデザインをカスタマイズできる杖を発案し、実際に試してもらいながら作り上げたということです。
また、こちらは「好きなジュースを飲める装置」です。なんとモデリングから実装まで、1週間で作り上げたそうです。
(つづきます)
アートとサイエンスが影響しあって未来ができる(未来と芸術展より感じたこと)
みなさまこんにちは。清水葉子です。
2019年11月19日より、森美術館で開催されている、
「未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命――人は明日どう生きるのか」
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/index.html
に行ってきました。
この展覧会では、都市、建築、ロボット、衣、食、生活、医療など様々な分野で、新しい技術の可能性について模索するアート作品が多数展示されていて、とても見ごたえのあるものでした。
私は大学で建築を学んでいたので、特に前半の都市の部分を面白く見ていたのですが、小単位のユニットを組み合わせて街や建物をつくる時に3Dプリンタが使われたり、自動運転の技術が取り入れられたりしているのが面白いと思いました。
こういった未来都市のアイディア自体は、実は1960年代に、かなり近い形で描かれているのです。日本の当時の若手建築家達によるグループ「メタボリズム」は、1960年代にすでに、新陳代謝可能な建物や都市を描いていましたし、同じ時代にイギリスで活動していた建築家グループ「アーキグラム」も、空間ユニットを組み合わせた街や、ネットワーク化された「コンピュータ・シティ」を発表していました。まだコンピュータもあまり普及していない時代にそういう世界を描けること自体がすごいなあと思うのですが、半世紀経って、それに技術が追いついたんだと思うと、本当に感慨深いです。
建築だけでなく、他の分野もそうで、手塚治虫さんが描いた世界が今現実になろうとしていたり、SFの世界で描かれていたような遠距離でのモノの移動が技術により可能になりつつあったりと、人が過去に描いた世界が、技術により実現される日も近いんだなあ、と感じました。
(下の写真はお寿司をデータにして送ることで、遠隔地でお寿司の形と味を再現できる3Dプリンタです)
さて、これらを見て私が感じたのは、やっぱりアートってすごいパワーを持っているし、アートとサイエンスの相乗効果ってすごいな、ということです。先日読んだ本「「なぜ?」から始める現代アート」にもあったのですが、サイエンスは、何か新しい物や説を世に出す時に「1万回同じ実験をして、1万回同じ結果」であることが求められるそうです。それに対してアートは、それを見る人に問いを投げかけたり、提案をすることができる。誤解をおそれずに言えば、それを受け取った人がどう感じるかに、数学的根拠はいらないのです。その分、アートは早く実験ができるし「できるかどうかはともかく、こういうのがあったら面白いんじゃない?」というある種の妄想もふくんだ提案ができるわけです。
今日の展示を見て、先人たちの自由なアート表現があったからこそ、サイエンスが追いついてきたのではないかなあ、と感じました。
同時にまたその技術を起点に新しいアート表現が出てきて、今叶えられない部分はまた新しい技術が追いついて、というように、アートとサイエンスは影響しあっていくのではないのでしょうか。
展覧会は3月29日までです。展示量が多いので、じっくり見たい方は、余裕を持って行かれるのがお勧めです。
#森美術館 #未来と芸術展 #アートとサイエンス
FABの可能性について今こそ考えてみよう -「FABに何が可能か―『つくりながら生きる』21世紀の野生の思考」を読んで
みなさまこんにちは。清水葉子です。例年よりも長いゴールデンウィーク、どのようにお過ごしですか?
さて、本日はFAB(パーソナルファブリケーション)について、最近読んだ本をご紹介したいと思います。
最近、学校内に3Dプリンターやレーザーカッターを設置し、生徒が授業やクラブ活動で使用する例が見られるようになってきました。レーザーカッターは、手で材料を切り出すよりも正確でものすごく早いですし、手では切り出せない材料も扱えたり、すごく細かな作業もしてくれます。3Dプリンタは時間はかかりますが、PCで作った立体をその通りにプリントしてくれます。3次元をいったん2次元に落として考えなくて良いので、発想が広がります。
今まで触れることがなかなかできなかったこれらの機械が学校にある事で、ものづくりの可能性は広がります。機械を使うためにデータの作り方を学んだり、機械の設定の仕方を覚えることは、新しいモノづくりの手段を手に入れられ、発想を広げるという点でも、とても良いことだと思います。でも、これらの機械が示す可能性は、それだけではありません。
日本にファブラボを紹介、普及した田中浩也さん、学校での実践など教育分野にも展開された門田和雄さんが編著を行った「FABに何が可能か―『つくりながら生きる』21世紀の野生の思考」では、お二人に加え、多くの実践者、研究者が、FABに何ができるのか、について、地域、グローバル、循環、職業、経済、産業、教育、芸術という観点から考察を行っています。一つの答えを出そうとしているわけではなく、FABとは何か、ファブラボはどんな機能を果たすのかについても本書内で議論がされているのが、面白いところだと思います。
まず、FABには以下の3つのポイントがあります。
1つ目は、例えればテーブルの上に小さな工場が出現し、個人が企業や工場に頼ることなく、ものづくりの試行錯誤ができるということ
2つ目は、データをインプットし、実体をアウトプットできる仕組みがあることで、同じものが何度もつくれることはもちろん、データを他の人と共有することで、実体のコピーや、少し改変したコピーが可能になること
3つ目は、インターネットの普及により、物理的に距離のある場所へも簡単にデータが共有できること。つまり、インターネット+FABで、ある意味実体の転送が可能になるということ です。
特に3つ目については、田中先生が本書の中で「コンピュータがつながれ脳がつながる“ウェブの社会”の進化系として、道具がつながり手がつながる“ファブの社会”が到来している(p104)」と書かれていて、面白いと思いました。この20年ほどで急速に発達したインターネットにより、世界中のどこにいても同じ情報が手に入れられるようになりました。次にFABが普及し、世界中のどこにでも実体を転送できるようになるということは、インターネットを使ってコンピュータからモノが飛び出してくるようなものですよね!それは単に輸送コストの削減だけでなく、ものをデータとして共有する面白さが含まれています。
世界中の色々な生活環境、文化、素材、人と、インターネットからやってきたそのようなモノはどうかかわっていくかについて考えることは、グローバルになったように見える世界を、もう一度ローカルから問い直すことを可能にするのではないか、と本書を読んで感じました。
また、FABやファブラボは機械のことだけを指しているのでなく、そこに関わる人や、人々の関係性までも指しているということが、本書を読んでよくわかりました。そこには機械を使ってつくる人はもちろん、その機械自体を作る人、制作過程をデザインする人、コミュニティを作る人など、様々な立場の人が含まれているという話もとても面白かったです。
FAB関連の機械が高性能に、安価になってきている今だからこそ、ただ機械を置いて終わり!ではなく、その意味や目的、可能性についてあらためて考えてみることが大切なのではないでしょうか。
小説からアートを楽しむ-原田マハさんの小説について
みなさまこんにちは。清水葉子です。
寒い日もありますが、梅も咲き、だいぶ暖かくなってまいりましたね。春も、もうすぐです!
さてみなさんは、絵画を、どのように楽しみますか。色、形、バランス、筆遣い、モチーフ、ストーリー?私が発見した最近の楽しみ方は、小説です。今日は、アートに関する小説を数多く出版されている、原田マハさんについて書きたいと思います。
小説家、原田マハさんは、美術館勤務のご経験があり、特に印象派や後期印象派を題材にした小説を多く書かれています。画家たちの日常、人となり、創作活動を、学芸員、モデル、画商、恋人、家族など、周辺の人たちの語りを通して描いたり、学芸員やコレクターなど、アートに様々な立場から関わる方の、アートへの愛を描いていきます。そのどちらからも、画家本人とその作品への愛情が感じられるものが多く、読むことでその時代の画家達がより魅力的に感じられ、作品に興味がわいてきます。
2012年に出版された「楽園のカンヴァス」は、素朴派と言われる画家、アンリ・ルソーの描いたある作品が、真作か、贋作かについて、2人の学芸員がその判定を迫られるというものなのです。舞台は現代なのですが、そのストーリー中には、ルソーの生きた時代についての描写も多くあり、また、謎解きのような一面もあり、楽しめます。
2015年に出版された「ジヴェルニーの食卓」は、短編集です。
アンリ・マティス、エドガー・ドガ、ポール・セザンヌ、クロード・モネの日常が、様々な視点で描かれています。パブロ・ピカソやメアリー・カサット、ゴッホ、ゴーギャンなどがストーリーの中にちらりと登場するのも、面白いです。印象派の画家たちの中には、なかなか価値が認められず、死後初めてその価値を認められた方も多く、評価も、経済的な豊かさも得られない中での創作への熱意や、周囲の創作活動や作品に対するあたたかいまなざしを感じることができます。
そして、2017年に出版された「たゆたえども沈まず」は、フィンセント・ファン・ゴッホの生涯、その創作活動について、弟テオと、パリで浮世絵を中心に日本の美術品を扱っていた画商、林忠正と重吉の視点から描かれた小説です。ゴッホについてはもちろん、弟テオの人柄について、心に染みる内容になっています。ゴッホと日本の関係については、2017年に日本で開催されたゴッホ展をご覧になった方はより楽しめるかもしれません。
2018年に出版された「モダン」も、短編集です。
こちらは、画家や作品名も多く出てきますが、学芸員、キュレーター、監視員、デザイナーなどからみた、美術館を舞台とした物語が続きます。展覧会って、このようにつくられているんだ、美術館を運営側から見ると、こんな風になっていて、関わる人達にはこんなドラマがあるんだ、ということが、わかるお話が多いです。
同じく2018年に出版された「暗幕のゲルニカ」は、2001年にニューヨークで起こったテロと、1937年に起こったスペイン、ゲルニカへの空爆をテーマにし、2つの時代をパブロ・ピカソの「ゲルニカ」を切り口に、並行して描いていきます。登場人物や構成に「楽園のカンヴァス」との重なりを楽しみつつ、戦争、平和と芸術の関係について考えさせられる内容になっています。
どの小説も、原田さんの綿密なリサーチが下地となっているのですが、その上に、原田さんの描いた人物像、ストーリーがのせられていて、あたたかい気持ちになりますし、アートへの興味が高まります。よろしければ、読んでみてくださいね。
次は誰のお話が読めるのか、とても楽しみにしています。
↓原田マハさん公式サイトはこちらです。
こちらのworksから書籍を見ることができますよ。